私も個人的に保護者の方や現場の教員とも話をしていろいろとアプローチしていますが、子ども・保護者と学校教員との意識の差はかなり大きいです。
学校との意識差を縮めようとすることは必要で多くの保護者の願いでもあると思いますが、現実として現在(ずーと昔々からですが)の学校システムに無理に合わせる必要はないと思います。
私自身、それに合わなくて早期退職しました。
なので、学校を変えようとすることも必要ではあると思いますが、子どもたちが自由に生き生きと安心して過ごせる場を増やしていくのが早いと思います。
それを「居場所」と呼ぶ人が多いですが、私は嫌いです。そこには制限や所属感がなく自由度があることが重要だからです。
その前提として、子どもにとって保護者にとって「学校とは何なのか?」「学校(というもの)に何を期待し求めるのか?」を考えていく必要があります。
学校はなんのため誰のためにあるのか?
・勉強をしたいの?
・資格を取りたいの?
・卒業認定をしてもらいたいの?
・友だちと交流したいの?
・部活をやりたいの?
・親が行けというから行くの?
などなど、これって学校に行かなくてもできますよね。
学校に行かなくても実現可能な方法はいくらでもあります。
それを考えたら学校の存在はどうでもいいのです。
私は学校に行く行かないはどっちでもいいという考えです。
今の学校はデメリットの方が大きいから。
学校に行く行かないは選択肢、どっちが正しくて正しくないかではありません
それでも、そんなところでも「学校に行きたい」という子にどう対応するか?です。
無理に我慢してまで行かせる必要はありません。
その場合はもう個別対応しかないと思います。「学校に何を期待し求めるのか?」を相談します。
そんな学校でも親身になってくれる教員個人はいます。組織の中では私がかつてそうであったようにかなり居ずらいですが。
要は、「自分自身はどうしたいのか」「自分はどうありたいのか」そのために、「今何をしたらいいのか、何をしなくてもいいのか」を決めたらいいです。
親は子ども自身の思いをしっかりと聴いてあげること、親としてそのどの道を選択しても全力で応援することです。
「不登校」、学校教育についてはいろいろな考え方がありますので、自分の中で納得のいく方法が一番大切なことだと思います。
このまま学校に行かないで、勉強しないで中学校を卒業したらその後はどうなるのか?
ちなみに私は「不登校」という言い方は反対です。
みんな平気で使用していますが、子どもを差別する用語です。