教員になって様々な子どもたちと過ごして5年くらい経ったころに出会った本があります。
子どもはなぜ学校に行くのか―子育ては「個育ち」
「子どもはなぜ学校に行くのか?」
「子どもたちは本当に喜んで学校に来ているのか?」
「学校はなんのためにあるのか?」
「学校ありき、これが社会の常識?」
その答えを知りたくて探し求めていたときに出会った渡辺位さんです。
ちょうどそのころから「不登校」の親の会にも参加するようになりました。
今改めて読み直しています。
・登校拒否は自己防衛反応
・登校拒否をつくっているもの
・生きるとは主体的な感動
・子どもを理解すること、信じること
今の私の原点です。
いつからか支配する側のから見た「不登校」という言葉にすり変わりましたが「登校拒否」の方が当てはまっています。
担任の対応で子どもがよくも悪くもなるというのは事実だと思います。
教員も人間なのでいろいろなタイプがありますので、合わない担任と1年間付き合わないといけない子どもは不幸です。
これは担任個人の問題というよりも学校システム、制度の問題なので、個人の学級担任制度を止めることで解決できます。
一部算数の授業では小人数学習をしていますが、担任は嫌いだけど小人数クラスの先生が好きだから算数の学力がアップした子もいます。
学級という枠をやめて子どもが教員を選べるようにしたらいいです。
学校のシステムを変えるって大変なことのように思いますが、やろうと思えばできます。
校則なんかもすぐに変えられます。
しかも、学校単位で。
何故学校に行かなければ行けないのか?を問うことが大事
学校へのこだわりを捨てることで自分の生きる道を発見し、蘇る子どもたち、親たちがいます。その姿は教育とは何か、学びの本質とは何か、生きるとは何かを渡辺さんのもつ教育的な視点で書かれています。エピローグの「おとな社会への子どもの抗議」は必読です。
学校に行くのも手段のひとつ、学校ではないところも手段のひとつ。その手段か違うだけで、どっちを選んでも、自分のやりたいことをしっかりと自覚し、自分の道を歩めばいいのです。
学校に行くか行かないかの選択ではなく、自分で何をやりたいか、何を学びたいかを決めることができたらいいのです。
学校もその場のひとつに過ぎません。
だから、「不登校」なんて概念も実はないのです。学び方の違いだけなのです。どのような人生を生きていくかについては、子ども自身の選択であり創造です。
「登校拒否」は子どもたちから大人へのメッセージです。しかし、それをキャッチしないで大人の都合で子どもをどうにかしようとしています。
子どもが登校拒否をすると親も教員も「なぜ学校に行かないの?」と聞きますよね。それは「なぜ学校に行くのか?」なんて考えたことがないからです。だからそう聞かれても答えられません。
答えるとしたら「学校はみんなが行くところだから」くらいのことでしょうね。
登校拒否をしている子どもは、「なぜ学校に行かされるの?」って聞きたいのかもしれません。
多分息子さんは、自分なりの答えを持っているかもしれません。そうやって「なぜ?」って問うことが大事だと思います。
渡辺さんの著書を読んで勉強会をするのもいいと思いますね。
21世紀の松下村塾では「子どもの学びを考える勉強会」を定期的に行っていますので、学校や子どもの教育について関心のある方の参加をお待ちしています。
渡辺位さんの本は自治体の図書館にも置いてありますので手に取ってもらえます。
今はいろいろな教育書や学校改革に関する本が出ていますが、やっぱりこの本が原点です。
・子どもはなぜ学校に行くのか?
・学校はなんのためにあるのか?
また「渡辺位」で検索したら講演録なども見つかります。
「渡辺位さんって誰?どんなことしたの?」という方のために2つほどピックップしておきます。
渡辺位さん最後の講演「親の会、25年に思う」
きっと共感できることが多いと思いますので、多くの方に読んでもらいたいです。
子どもを真ん中にしてありのままを認める、素晴らしい方です。
渡辺位さんの講演録「不登校は文化の森の入り口」(PDF)