ホント五味太郎さんの言う通り。
社会構造を変える、学校システムを変えるなんてこと考えなくていい。
学校に行きたければ行けばいいし、行きたくなければ別に行かなくてもどうってことない。
学校に行って無駄なことをそうすればいい。学校に行かなければ自分の好きなこと学びたいことができる時間がいっぱいできる。
無駄だと思っていることをやらされるからどんどんやる気がなくなっていく。
「学校がまともだ」という前提に立っているから、「学校へ行っていない自分はおかしい」なんて悩み方をするんだ。おかしな社会のなかで、大人たちだっておかしくなっている。学校制度を否定して、別の生き方をしようとする人もいるけど、それだと面倒くさいことが増えてしまう。
何かしたいことが出てきたときに、中学卒業の学歴が必要なこともあるだろう。そういう仕組みになっているわけだから、「だったらまあ、卒業しておくか」でいいんじゃないか。文科省がしている初等教育のカリキュラムって、本当にムダだと思う。科目の設定が不思議だし、今の時代にも合っていない。からだの話とか食べ物の話とか、大事なことを教えていないだろう。
学校というのはやりたいことがあれば好きな時に行って「利用」したらいいところです。
子どもにとっては毎日毎日朝から晩まで学校に行くことは義務ではないのです。行くか行かないかを決めるのは子どもの「権利」なんです。
学校は行かなければならない、のではなく、行ってもいいし別に行かなくてもいい所なのです。
また、朝から晩まで一日中居る必要もありません。やりたいことがあればやるたいことだけを好きな時に行って利用したらいいところだと考えたらいいです。
「学校に来ないと落第させるぞ」なんていうのは、子どもを管理するための脅しにすぎない。公立の中学校が子どもを卒業させなかったとしたら、それは完全に憲法違反なんだ。
憲法26条には、すべての国民が、「ひとしく教育を受ける権利を有する」と書かれている。子どもが学校へ行かないことは、単に権利を放棄しているだけであって、義務の不履行ではない。教育を仕事にしている人でさえ、26条を知らないよね。さらに言うと、子どもの側も「自分にどんな権利があるか」を調べていない。
「今」に夢中の子どもを、学校は社会化させて「将来」を考えさせている。中学生がなぜあれほど退屈な勉強を毎日しているかといったら、「いい高校に入るため」だろう。それで高校に入ったら、次は「いい大学に入るため」の勉強だ。それでいい大学に入ったら、今度は「いい会社に入るため」にがんばって、就職したら「老後のため」に備える。「将来のため」の生き方を、学校によって指導されているんだ。子どもたちは、どこまでいっても「今」を生きることができない。
「構造を変えるよりも明るく逃げよう」絵本作家・五味太郎が語る歪んだ社会から逃げることの大切さ【全文公開】
「学校がまともだ」という前提からしてヘンだよ
学校に行く行かないはそんなにたいしたことではありません。
小学校から長い間学校へ行かないで企業、会社でちゃんと働いている人もいますし、どこかの職場に所属することだけが働く形ではありません。世界にはさまざまな働き方があります。
私自身学校という職場から中途離脱しましたが、立派に社会貢献していますし、今の働き方、生き方に誇りをもっています。これは、私自身が決めたことであり、皆がみなこのような生き方をする必要もありません。
社会は公の学校システムを経た者だけで構成されているのではありませんからね。
むしろ、職人とかプロと呼ばれている人は学校に行かないで自分で技術を磨いている人の方が多いです。
「義務教育なんだから学校に行きなさい」と言うのは間違いです。
それは、日本国憲法第26条と教育基本法にも明記されています。
「義務教育」というワードで不登校の子どもたちを責めることの方が法律違反なのです。
普通教育は、「必ず学校に通わせる」ことを意味している訳ではありません。
子どもたちには「教育を受ける権利」というものが保障されてます。
文部科学省の定義では、学校を年間30日以上休んだ場合「不登校」と呼ばれます。
しかし、それは学びのスタイルと違うということではありません。
これまで何度も言ってきましたが、学校行く行かないで定義すること自体が間違っています。
学校も「必要に応じて利用する場」のひとつだと考えたらいいです。
だから、学校に行く権利もあるし行かない自由も選んでいいのです。
「子どもの学ぶ権利を保証するという」というのが本来の義務教育の形