文部科学省の定義では、学校を年間30日以上休んだ場合「不登校」と呼ばれます。
しかし、それは学びのスタイルと違うということではありません。
これまで何度も言ってきましたが、学校行く行かないで定義すること自体が間違っています。
学校も「必要に応じて利用する場」のひとつだと考えたらいいです。
だから、学校に行く権利もあるし行かない自由も選んでいいのです。
また、「ホームスクール」という呼び方もなんだかなあって思います。
どうして「場」を示した「スクール」というのでしょうか?「ホームエデュケーション」の方がいいです。学ぶのに場所も時間も関係ありませんから。
「旅教育」も「体験教育」もありです。教科書の勉強をしたいと思ったらオンライン教材だっていくらでもあります。
自分がやりたいと思ったことをやり、学びたいと思ったことを学ぶことが基本です。
日本では「与えられたことをこなす」ことが目的となっているために、学校に通う子どもは受け身の子が多い。何をするにしても、大人の指示を待っています。せっかく自由に遊べる休憩時間でも「やることがなくてたいくつ」という子さえいます。何をやってもいいのに、何をしたらいいのか分からないのです。
自由な学びをしている子どもはやりたいことをどんどんやっていくために、自己決定力も主体性も身についています。
誰かに与えられてやるのではなく、自分で考えて自分で行動することが当たり前になっているからです。
日本の義務教育制度というのは、「とにかく学校に行っていたらいい」「出席することが大事」だという形なので、そこでの学びの成果はどうでもいいんです。
日本の教育システムが合わない子が無理して合わせることはないというのが私の考えです。
とはいってもどの家庭でも「ホームエデュケーション」ができるわけではないので、学校が合わない子どもたちのため、そのために多様な学びの保障の場を作っていく必要があります。それが「子どもの学ぶ権利を保証するという」本来の義務教育の形です。
義務教育とはすべての子どもたちに普通教育を保障することです。「すべての子どもたち」にです。
その一点では誰がどこで何をすべきかは明らかです。立場や肩書きを越えてです。机上の会議ではなく、実行しなければ何の意味もありません。
だから、あらゆる場や方法を使って教育の機会と場を創っていきます。
そのためには、まずは子どもたちの声を聴くこと、今子どもたちがどんな状態にあるのか知ること、そして情報を発信し続けていくことが大切です。知り、理解を広げ、つなげていくことが重要です。
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「子どもの学ぶ権利を保証するという」というのが本来の義務教育の形
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執筆者:azbooks