教育

学校に行くとか行かないとかどっちでもいい。どうでもいい。不登校の有名人

投稿日:


学校に行くとか行かないとかどっちでもいい。どうでもいい。
「不登校」という状態に本人も親御さんも落ち込んだり罪悪感をもつことも全然ない。
むしろその逆で、自信を持って自分の選択したことをを楽しんだらいい。
そうしていたら、必ず自分が生かせる場所が見つかるはずです。それは誰かが決めることではなく、自己満足でいい。他者に合わせる必要もない。
だから「不登校」をどうにかしようとか将来のために何かしよう、何かさせようなんてことも考えなくてもいいんです。
「好きなことを学びたいから学校に行かない」
学校は自分の必要に応じて「利用」したらいいです。
必要がないなら行かなくてもいいです。
学校に行くか行かないか、いつどこで何を学ぶかは、子ども本人が決めることです。
学校とは「そういうところ」です。学びができる場のほんの一部分にすぎません。
最も大切なことは自由意思、自己決定だから。
「不登校対策」とは「学校に来ない子」を「学校に来させる」ことではありません!にも書きましたが、本人のやりたいが一番です。
どんなことでも自由に自分で決めたらいいです。
「~させよう」とかしない方がいいです。親も子もね。
「させよう」というのは親の意思、期待です。
学校に来ればそれで解決という考え方を改めるべきだと思います。
それは教員の自己満足であり、子どもさん本人にとっての安心感にはつながりません。
「安心して今ここ(家)にいてもいい」という気持ちの安定、落ち着きが先決だと思います。
学校復帰ありきではなく「本人にとって今必要なことは」という視点で対応すべきです。
その先に、本人の意思で学校に行くということにつながるかもしれません。
それは子どもにとってはいい迷惑です。子どもには子どもの意思があるので。
学校から「~してください」と言われたら親としていい気分にはならないでしょう。
それは子どもも同じです。
元不登校だった有名人18人(小栗旬さん、藤田ニコルさん、白石麻衣さん他)ご紹介
うまくできるかできないか、役に立つか立たないか、ほめられるかほめられないか、将来のためでもなく、「今」自分がやって楽しいか楽しくないか。
大事なことはそれだけ。
自分のやりたいことは学校に行かなくてもできるということです。
「教育とは学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。そしてその力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくることである。」
学校の評価など気にしないで自分の好きなことを思いっきりやったらいいに書いていますが、アインシュタインさすがだわ!

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

Rocketの米子説明会、中邑賢龍さんの話はワクワクすることばかり!

2018年4月7日(土)の行われた「異才発掘プロジェクトRocket」の米子説明会。 約50人の親子が参加していました。 私もこのRocketには前から関心があったので、中邑さんが米子に来られるとあっ …

自治体間、学校間でオンライン授業競争が始まっている

ここ最近の教育の現場で起こっていることを見ていて思うことですが、自治体間、学校間でオンライン授業競争、狭い意味での勉強の押し付け競争になってないでしょうか? 「どこどこはこんなんやってるようだけど、う …

なんのために学校へ行ってるのか?

学校とは第一に、勉強をするところです。 しかも、やらされている勉強ではなくやりたい勉強をすること やりたい勉強をしたいと思えば、基礎的な勉強が大事なことも分かります。 やりたいことを課題解決するために …

学校現場にICTの導入が進まない理由は、つかうのが面倒だから

学校現場にICTの導入が進まない理由は、つかうのが面倒だから。 簡単で便利だというのは、面倒だと思っていない人の論理です。 だから面倒のない黒板、ノート、鉛筆が一番使いやすいんです。 さらに、個別とな …

障害のある子とない子が一緒に学ぶ学童、設立した保護者の物語

神奈川・横須賀市のバリアフリー子育て情報局『sukasuka-ippo』(以下『ippo』)は、同市の療育(障害児対象の幼稚園)相談センター『ひまわり園』の保護者会役員7名が立ち上げた一般社団法人だ。 …

スポンサーリンク

スポンサーリンク