教育

自由な学びをしたら社会参加はできなくなるのか?

投稿日:2016年9月26日 更新日:

ある方から、こんな質問をいただきました。
「自由な学びを選択しても結局は、公の学校システムを経て社会へ出た人たちで構成されている、企業、会社へと行く。その中で、やっていくことが出来ますか?」
「自分の子や孫もそのような道を進んだとしたら、自由な学びを選択したとしたら、またそれが繰り返される。それを、考えていますか?」
公教育ではない学びの場やスタイルが広がっている中で、そのような教育を受けて通常の形での社会参加ができるか?という質問です。
今では、フリースクールやフリースペース、サドベリースクールなどの学校以外の学びの場が増えてきました。
そこでの学びは将来につながっていくのか?という質問です。
私はこのように答えました。

「自由な学び」と「自分勝手な生き方」とは違う

「自由な学び」についてどういう捉え方をされているのか分かりませんが、「自由な学び」と「自分勝手な生き方」とは違います。
自由な学びの中には自立であったり社会貢献に役立つことがたくさんあります。
公教育を受けた子どもだけが社会参加できるのではなく、「自分に合った学びのスタイル」から、一般企業のサラリーマンになったり公務員になったり、いろいろな職業で働き、普通に社会参加している人たちもたくさんいます。
自由な学びをしたからといって、決して社会から孤立して反社会的に生きるということではありません。
社会のルールの中で自由な生き方を選択しているにすぎないのです。
決められた一本の道を進んでいくことが正しくて、自由に生きることは間違いであるという認識が間違っています。というか、意味の受け止め方、解釈の違いだと思います。
「公の学校システムを経なければ社会へ出てから企業、会社でやっていくことができない」というのは、とても偏った考え方です。間違っています。
それは、「社会に出るために学校でトレーニングをしている」という考え方に基づいています。
学校は生活や学習の基礎基本を学ぶ場ではあります。
しかし、学校だけが学びの場ではなく、さまざまな社会環境があります。
そのどれを選択するかは、本人の意志であり、どれを選ぶのも自由です。
これは、憲法でも保証されています。

実はこれって、その方の考えではなく、世間の多くの人たちがそう思っていることです。
だから、「学校へちゃんと行かせなきゃ」「学校へ行かないと将来大変なことになる」となってしまうのです。
それがどんな学校であったとしてもです。
学校を選ぶ自由もあり、学校に行かないで自分で勉強する自由もあり、家でゆっくり過ごしながらエネルギーを貯めていくのもありです。
そのどれが正解なのではなく、「子ども本人が自分で決める」ことが重要です。自分で自分の行く道を決められるように見守ることが親や周囲の人の役目です。
不登校を選んだことに是も非もない 選ぶ権利は子ども本人にあるにも書きましたが、学校に行くか行かないか、どこの学校に行くのかを選ぶ権利は子ども本人にあります。
学校に行くか行かないかを決めるのは子ども自身の意志です。だから自由な学びを選択することも「あり」です。
私は自由な学びをした子どもこそ未来を切り開いていく人材になると思っています。もちろん、学校に行って公教育を受けた子どもたちもまた大切な人材です。
どちらが正しくてどちらが間違っているというものではありません。
いろんな道がある。
どう生きるかは自分で決めたらいいってことです。

このような保守的な意見、固定観念にしばられている人は多いです。差別と偏見の塊だと感じました。
本当に狭い世界の中で狭い価値観しか持っていない人だと思います。
確かに学校信仰、学歴信仰は根強いものがあると思います。
でも、社会参加、社会貢献の形はさまざまあります。
何を学びどう生きるかは本人に選ぶ権利があります。
幸福感も価値観も一人ひとりが違います。
その多様性を認めていけるような社会にしていきたいですね。
学び方も生き方も多種多様にあることを広く知らせていきましょう。

社会参加 社会貢献の形はさまざま

もちろん、かつて不登校だった人もいろいろな職業に就いていますし会社に通勤もしています。教員や医者になっている人もありますよ。
社長になった人もたくさんいます。
小中学校に全く行かなくても卒業はできますし、高等学校卒業程度認定を受けて大学や大学院に進学することも留学だってできます。
さらに、自分のやりたい仕事の資格を取得することもできます。
また、高校には行かなくても中卒で取得できる資格もたくさんあります。
だから、不登校になったら将来がないなんてことはありません。
その反対に、学校に行っていても就職しない、ちゃんと会社に行っていない人もありますよね。これも本人理由というよりも社会的な環境の不備が要因であることもありますが。

だから、学校に行く行かないはそんなにたいしたことではありません。
小学校から長い間学校へ行かないで企業、会社でちゃんと働いている人もいますし、どこかの職場に所属することだけが働く形ではありません。世界にはさまざまな働き方があります。
私自身学校という職場から中途離脱しましたが、立派に社会貢献していますし、今の働き方、生き方に誇りをもっています。これは、私自身が決めたことであり、皆がみなこのような生き方をする必要もありません。
社会は公の学校システムを経た者だけで構成されているのではありませんからね。
むしろ、職人とかプロと呼ばれている人は学校に行かないで自分で技術を磨いている人の方が多いです。
学歴や所属先で人を評価することが間違っています。
ただし、現実としては世間からの目で罪悪感を感じたり自己肯定感を下げてしまったり、高校進学の際の不利益など、学校に行かないと経験できないことを失うものもあります。
だから、世間からの見方を変える必要があります。不登校の子どもたちが不利益を被らないように学校制度や社会の仕組みを変えていく必要もあります。

今の日本の公の学校システムはいろいろな欠点があります。それで子どもたちはいろいろなメッセージを発しています。
なので、学校システムを見直しておくことも必要です。さらに自分に合った学び方ができる場を作っていく必要もあります。
働く場についても型にはめられた会社だけでなく、個々に合った働く場も必要になります。今はそのような場も増えてきています。

自由な生き方をした人の子や孫はどうなるの?

次に、「自由な学びをした人の子どもや孫ももまたそうなる」というのもそうとは限りません。たとえそうなったとしても全く問題はありません。
人生は決められたたった一本の道だけを進むのではなく、どの道を進むかという決定権は本人が持っています。
世間に流される生き方もあり、自分で切り拓いていく生き方もあり、学校へ行く、別の場で学ぶことも全部ありなんです。
今の学校システムに合っている人もいますので、学校を全否定しているわけでもありません。
公教育にはそれなりの良さもありますから、そこが自分に合っていると思えば行けばいいんです。合わない子どもには他の道もあるよということです。
それが「義務教育」の本当の意味です。

「不登校」、それは「自由の獲得」

学校がない状態を自分から進んでつくった子どもたちがいます。「不登校」を選んだ子どもたちです。
「不登校状態にさせられた」のではなく、「不登校」を選ぶという主体的な決定をした子どもたちがいます。
「不登校」、それは「自由の獲得」だと考えたらいいです。
強制されない、命令されない、自分のやることは自分で決められる。
素晴らしいことです。
学校に行かないからできることがあります。
「不登校」だからできることがあります。
それは、空間、時間、関係性に制限がないことです。自由であることです。
どこで学んでもいい。いつでも学べる。好きなことを好きな人たちと学べる。
学びとは学校の勉強をすることではありません。
その学びを自分の思うままにできるのが「不登校」なのです。
これは「不登校」の特権なのです。

だから、「不登校」をマイナスだと考えなくてもいいです。「不登校」には自由があります。
いろいろと面倒な関りをしなくていい。
不自由な勝手に決められた「枠」の中に閉じ込められなくて済む。
自分で勝手に好きな過ごし方、学び方ができる。
「不登校」、それは「自由の獲得」です。
「自由な学び」と「自分勝手な生き方」とは違います。
「勉強したい」と思っているのなら、やり方はたくさんあります。
勉強しようと思っているのなら、いくらでもできるのです。
休校騒ぎで大人がよってたかってなにかをさせようとしていない?にも書きましたが、私は、何かをさせないといけないと思い込んでいる大人が変わらないとだめだと思います。
学び方もさまざま、社会参加 社会貢献の形はさまざまなのですから。
学校に行かないで活躍している人はたくさんいる「事実」にもっと目を向けよう
世の中には学校へ行かないで大活躍している人がたくさんいます

学校を批判するだけでは解決しません

昨日はとある保護者の会に参加したのですが、学校に不信感をもっている方は少なくないです。学校の不適切な対応で不登校になっている方の話も聞きましたが、本当に親子で辛い思いをしておられます。
私は現場にもいましたので学校の大変さも分かっていますが、明らかに対応の仕方に問題があると感じました。
私も立場で上からものをいう人は大っ嫌いですし、学校制度には大きな問題があることも確かです。
なので、組織に縛られない生き方を選びました。
しかし、学校批判だけでは解決しませんし、社会的な理解をもっともっと進めていく必要があります。子どもが学校へ行きにくいというのであれば、安心して通えるように学校の環境を変えていく必要があります。
保護者の会は決して学校と対立することが目的ではありませんが、世間ではそう見られていない人が多いのも確かです。
なので、私はその間に入ってできることをしていきたいと思っています。
中心にいるのは学校でも親でもなく、子どもたちです。
子どもたちの幸せを願う気持ちは学校も親もみな同じです。
まとめると、「人にはいろんな生き方があり、そのどれを選んでもいいんだよ」という考え方です。
私は、このようにいろいろな生き方があることを伝えるとともに、いろいろな人たちとの関係を結びながら個々に合った働く場も探しています。それを情報発信していくことができたらとも考えています。
これからも、そのためにいろいろな人たちとの関係作りを行っていきます。
このようなことも親の会で話をしています。
子どもさんのことだけでなく、親御さん自身の悩みなども参加者のみなさんといっしょに共有して話をしていますので、独りで悩まないでお近くの親の会を訪ねてみてください。

鳥取県内の不登校やひきこもりの親の会

不登校Youtuberゆたぼん君への「学校に行かないと将来がない」というコメントへの意見

不登校Youtuberゆたぼん君への「学校に行かないと将来がない」というコメントの中には学校や社会についての捉え方がかなり限定的で視野の狭さを感じるものがあります。

そして、 これまでにも何度も書きましたが、このような「学校に行かないと就職できない」「学校に行かないと社会性が身に付かない」「学校に行かないと人間関係が作れない」「学校に行かないと厳しい社会でやっていけない」などという間違った考え方を多くの人たちがしています。
以下、それに対する私の考えです。

不登校は問題行動ではない 「義務教育」は「子どもが学校へ行く義務」ではない

「不登校対策」とは「学校に来ない子」を「学校に来させる」ことではありません!

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