教育

学校のファシズムが、国に都合のいい子をつくる 何も言わない国民をつくる

投稿日:2019年7月12日 更新日:

今の日本の教育の問題点は様々あります。
誰が考えても理不尽な校則、「見映えがある」儀式や「見せる」学校行事のための何回も何回も繰り返される
練習、軍隊のような集団行進、応援団を中心とした上級生の指導による応援歌練習。
その一方で、校則や定期テスト、通知表のない公立学校もある。
そんな「なにか、学校って変、おかしい」と気づいている人はたくさんいる。
しかし、そんな「おかしい」をなぜ変えることができないのか?
「なにか、おかしい」と気づいている人は身近にも多くいる。 教員の中にも、個より集団を重んじる学校に疑問を持ちながら、日々の多忙に忙殺され、「教員だから」という特別意識に縛られて、何も言わない、身動きできなくなっている人たちがいる。「集団に同調する学校教育」を受けた人たちが大半を占める世の中になれば、誰もが生きづらい社会になってしまう。恐ろしい社会になってしまう。
だから、「おかしいことはおかしい」と言わなければなりません。「おかしい」と気づいた人と一緒に声を上げていく必要があります。

何も言わなければ何も変わらない

おかしいことは「おかしい」と言わなければおかしいまま何も変わらない。
おかしいことがおかしくないことになってしまう。
おかしいことにおかしいと気づかなくなってしまう。
誰も「おかしい」と言えなくなってしまう。
おかしいことを「おかしい」と言った者がおかしいとされてしまう学校という組織はやっぱりおかしい。
そんなおかしなことを強制している学校という組織、学校システムはやっぱりおかしい。
私がなぜ教員を早期退職して今の活動をやっているのか?
途中で辞めないで教員を続けていたら死んでいたかもしれないからです。
自分の健康と命を守ために辞めました。
「学校が理由」で子どもも教員も自殺している。
それが一向に止まらない。
子どもや教員が亡くなっても何ごともなかったように日々が流れていく。
まるでそれが当たり前のように、メディア報道を見て子どもや教員の自死を日常茶飯事のごとく感じて、まるで麻痺しているように思います。

本気で変える気がない形だけの対応


そして何か学校で問題が発生すると、毎回毎回同じような謝罪会見と「再発防止」という「言葉だけ」「カッコだけ」の繰り返し。まったく具体策がないまま人々の記憶から消えていく。
「学校が理由」であるのなら、学校を変えなければいけません。
子どもも教員もこれ以上壊してはいけない。
子どもも教員もこれ以上死なせてはいけない。
そのためには学校を変えなければいけません。
「登校拒否」は子どもの防衛反応、危険回避行動です。「自分の命を守る」行動です。甘えでもワガママでもなく、「自分の命を守る」行動です。
家庭内暴力も「自分の命を守る」行動です。その背景の多くは学校のシステムがあります。
「教育改革」とか「教員の働き方改革」という曖昧な表現を使って「長時間労働の改善」といっていますが、これは「教員の命を守る」ために絶対に必要なことなのです。
だから学校を変えなければならないのです。
子どもも教員も自分の好きなことが思いっきり時間を気にしないでできたら学校はもっと楽しくなります。
しかし、そんなところは「学校」って呼ばないんだろうな。
そのためにこれからも闘っていきます。

学校のファシズムが、国に都合のいい子をつくる

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

不登校は問題行動ではない、学校復帰を前提にする必要はない!

文科省は2019年10月25日に「これまでの不登校対応を転換させる通知」を全小中学校へ向けて出しました。「学校へ戻すことだけがゴールではない」という新しい不登校対応の方針が出ましたが、そもそも「学校に …

12月23日「不登校を話そう!おはなし会」と「倉吉トトロの会」に参加

昨日は「不登校を話そう!おはなし会」と「倉吉トトロの会」に参加しました。 おはなし会は不登校を経験した若者たちが初めて企画した会でしたが、たくさんの方が来られ、思い思いのことを話すことができたと思いま …

英語が小5から正式教科って誰のための英語の教科化なのか?

何のための、誰のための英語の教科化なのか? 小中高を通してのビジョンが全くないままの小学校での教科化では、なんの意味もありません。 英語が教科になれば評価もする必要がありますが、その評価基準もバラバラ …

学校の宿題なんかしなくたっていい むしろ害になります

ほとんどの学校の宿題は「苦行」でしかありません。 学校の授業でちゃんと学んでいれば宿題なんてやる必要ないんです。 重たいカバンを背負って教科書やノートも持ち帰る必要はありません。手ぶらで行って手ぶらで …

ダメな人間などいません、ダメな指導者がいるだけなのです

小学校4年生程度の学力しかない女子高生が、一気に偏差値を40も上げて慶應大学の受験に合格した! という実話を元にした映画『ビリギャル』。 「君はね、人間のクズだよ」。名古屋では有名な中高大エスカレータ …

スポンサーリンク

スポンサーリンク
21世紀の松下村塾 教育相談無料