教育

教員にとっての「いい子」国家にとって「都合のいい子」が評価される道徳教科に?

投稿日:

新指導要領では道徳が「教科」化されて、担任が評価することになります。
どのような評価基準で評価するのかわかりませんが、担任の評価を気にする道徳の学習ではなんの意味もありません。
ちなみに、私たちが中学生のときは道徳の時間は卓球やソフトボールをしてたなあ。
このときに評価があったら、何点だったのでしょうか?
広島県教育委員会は、「『児童生徒の心に響く教材の活用・開発』研究報告集」として、「心の元気」という教材を作っている*1。その中に、「組体操 学校行事と関連付けた取組み」という教材がある*2。小学校5・6年生用の教材で、運動会の組体操での練習のストーリーが題材になっている。
教訓めいた押しつけの道徳の授業よりも、卓球やソフトボールをした方が仲間作り、お互いを思いやる気持ち、協力、創意工夫などが学べたのではないかと思います。
そのとき、担任の先生がいたかどうかすら記憶がありません。^^
今のシステムの中でのテストや評価は、競争意識を煽るだけなので、このまま道徳の評価がされるようになると、「いい評価をしてもらう」ための学習活動になる恐れがあります。
道徳の「答え」はみんな知っていますから、どんな教材が教科書に載せられるのか注目したいです。
なんでもかんでもやればいいというものではありません。
道徳を「教科」にする問題点はたくさんありますが、現在の道徳授業の問題点を放置したままで「教科化」するのは、さらに問題を大きくすることになります。
教員にとっての「いい子」国家にとって「都合のいい子」が評価されるようなことがあってはなりません!
・「何が道徳的に正しいのか」という道徳の内容や評価基準の決め方に問題がある。
・国民からの信頼がない、道徳を語る資格がない政治家主導の「国定教科書」の内容を誰が担当するのか。
・実際には道徳の評価は担任が行うが、国家が評価基準を決めることの危険性を含んでいる。
・「国にとって都合のいい人間」を高評価するようになると、子どもの人間性が損なわれる。裏と表の顔を今以上に持たせることにつながる。
・教員の主観による評価になるため、絶対的な評価は不可能。
・結果的に道徳を教科にすることは「非道徳的」な人間を育てることになる。
・教員の負担が増えることにより、今以上に子どもへ向き合う時間が少なくなる。
これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態
ビートたけしが安倍政権の道徳教育を真っ向批判!
「道徳を守れないお前らが道徳を語るな」「日本の道徳観は単なる郷愁だ」

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

全国学力テスト 全国学力・学習状況調査は今すぐやめるべきです

全国学力テストって、どうでもいい! 全くやる意味もやる価値もないテストです。 多くの国民には何のメリットもない、何の価値もない、競争意識を煽るためだけに全国学力テストが実施され、当初の予定もかなり遅れ …

私は学校を創造性と個性の殺害、及び知性の虐待の罪で告訴します

「私は学校システムを告訴します」 私もまったく同感、まったく同じ考えです。 こんなに明解な説明には感動します。 「教員の常識は、社会の非常識」そうなるのも当たり前の世界が学校というところにも書きました …

ダメな人間などいません、ダメな指導者がいるだけなのです

小学校4年生程度の学力しかない女子高生が、一気に偏差値を40も上げて慶應大学の受験に合格した! という実話を元にした映画『ビリギャル』。 「君はね、人間のクズだよ」。名古屋では有名な中高大エスカレータ …

教委が考える「いじめが解消している」という判断は確かなものでしょうか?

鳥取県では、1月16日に平成29年度第3回総合教育会議で「教育に関する大綱」の平成30年度改定(案)、県立高校の魅力化、不登校等の現状と今後の取組等について意見交換が行われました。 いじめ・不登校総合 …

オランダの学校視察と子どもの未来を拓く日本の学校教育の可能性

日本の公教育は子どもの可能性をつぶし、教員のやる気を失わせているように見えます。 各学校、各学級にはそれぞれの学校教育目標、学級目標があります。 しかし、実際にはそれに向けた真逆の実践がされているよう …

スポンサーリンク

スポンサーリンク