暮らし

ただぼーっとして時間だけが過ぎていく「なんにもしない」ことにも意味がある

投稿日:2020年4月16日 更新日:


今、コロナ騒ぎで日本全国が過干渉をし過ぎていないでしょうか?
「おうちなんちゃら」
「オンラインなんちゃら」
「なんちゃらリレー」
そして、そこら中に監視の目。よそもんを排除。
日本の悪しき同調圧力がますます強化されているような気がします。
自分が何をしたいか、ではなく、他のみんながしているからが基準?
どんだけ与えられないとできないのか
あっちからもこっちからも「勉強せえ、勉強せえ」「あれせえ、これせえ」「あれはいけん、これはいけん」
それを言われれば言われるほど勉強したくなくなる、やる気がなくなるわ。
言われんでも、勉強したかったらやるわ。やりたかったらやるわ。ほんと、息苦しいわ。
言われんでもわかっとるわ。子どもたちも、自分で考えとるわ。自分で考えてやっとるわ。
別になんもせんでもええわ。今はなんもせんほうがええわ。
今はうちにいることが最高の行動なんだから。うちにいるだけでええだけ、なんもせんでもええ。
今はなんもせんのがええだけ。
なんとなく「何かをしていないとよくない」とか「何もしないと怠けている」と考える方がむしろおかしいのではないかと、私は思うのです。
「やってみようかな」と思ったらちょっとだけやってみる。
思わなかったら、ただぼーっとして時間だけが過ぎていく。
「何かの目的のために休む」のではなく「休むために休む」、これもアリなんだと思います。
自分で考えてやっとったら、それでええが。

休むために休んだのに何もしないことはよくない?

私が教員を早期退職した理由のひとつが自分の命と健康を守るためと書きました。
毎日子どもたちとの活動はとても楽しく、仕事にもやりがいを感じていましたが、とにかく時間がない、多忙な毎日に疲れてしまったというのが大きな理由です。
毎日何かに追われている感じで、「明日の準備は、そしてこれ」っとスケジュールをこなすことで精いっぱいになっていきました。
まあ、それが教員の仕事なんですが、かなり無理していたと思います。
「はい、次はこれ、その次はこれ。何時から何時まではこれ、そしてそれが終わったら〇〇・・・」と、頭のことは明日のこと、その次の日のこと、さらにその向こうのことが無限に続いていくわけです。
何か時間との追いかけっこをして日々を過ごしているみたいです。
そんな毎日が続いていく中で、自分の命と健康を守るために、ただぼーっとできる時間が欲しい、休みたい、何も決めないでもいい、そう思うようになっていきました。かなり疲れていたんでしょうね。
そして、教員を辞めてから自由な時間を作ることができましたが、それからもどんどんやりたいことが浮かんでくるわけです。
やらされることからは解放されてやりたいことが優先できるようになったのですが、また「何かしなくちゃ」的な考えが起こってくるわけです。やる気が出ないときにやる気を出そうとする自分がいるわけです。「何もしないことはよくない」ことのような気がするわけです。
またどこかにに出かけようとか、また何か始めようとか、新しく始めた仕事を何とか軌道に乗せなければとか、自分なりに意欲は旺盛でありたいとか、休むために、怠けるために辞めて時間を作ったのに、その時間を埋めようとする自分がいるわけですよ。
その一方で、これが本心なんだと思うのですが、頭の中には何も働いていない部分というか、意識的にボーッとするゆとりを持ちたい。
次から次へと何かに追われまくるのではなく、しっかり「休むために休む」気持ちのゆとりが大切なんです。
「ぼーっとする時間」を意識的に作ろうと。意識的に作ろうとしている自分もなんか変なんですけどね。

何かの目的で備えるのではなく休むことが目的で休む

休校騒ぎで大人がよってたかってなにかをさせようとしていない?にも書きましたが、「一斉休校」で時間を持て余す子どもが増えている、子どもが一日中家にいて家庭内バトルも増えているという。せっかくたっぷりと自由な時間ができたのに、何もすることがないという。
こんなときだからこそ自分で考えて自分で行動するチャンスなのに、その「持て余す時間」をなんとか埋めようとして必死に何かさせようとしている大人たちがいます。
これまでいかに自分で考え行動していなかったかもわかります。
子どもに暇を与えちゃいけないの?
子どもに自分の時間を与えちゃいけないの?
子どもを自由にさせたらいけないの?
どんだけ子どもは日々の活動を監視されているか。
今こそ子ども自身が考えて自己判断ができるチャンスなのに、つくづく大人は子どもを思い通りにコントロールしたいんだなって思います。
うちの塾の方針もそうですし、現在の活動の一つが学校に行き辛い子や親御さんとの関わりなんですが、「なんにもしないことにも意味がある」「なんにもしないのにも価値がある」という考え方がその根底にあります。
「なんにもしない期間」を「休息時間」とか「動き出すエネルギーを貯める期間」ということがありますが、「何かの目的のために休む」のではなく「休むために休む」ということです。
それで初めて「休んでいる」というのではないかと思います。
人によっては、その「休憩期間」が1か月なのかもしれないし、3年、4年と必要なのかもしれません。
学校で勉強で友達関係で集団生活で、家庭や職場、なにかのグループなどの人間関係で疲れた心を休めるために人によってはそれぐらいの時間が必要なんだと思います。
何かの目標に向かう力やエネルギーを蓄えることが目的ではないことが重要なのかもしれません。
やる気が出ないときにやる気を出すのにいい方法に書いていますが、なんとなく「何かをしていないとよくない」とか「何もしないと怠けている」と考える方がむしろおかしいのではないかと思うのです。
「〇〇しなさい」「〇〇しなくちゃ」ではなく「○○をやってみようかな」と思ったらちょっとだけやってみる。思わなかったら「ただぼーっとして過ごす」
これもアリなんだと思います。

「何もしない」あなたは最高に素晴らしい人

「こんなときなのに、自分にはなにもできなくて・・・」という人がいます。
今は「何もしない」ということが最高の行いなんです。
どこにも行かない、他人に会わないというのが最高の行いです。
その行いが、この瞬間にたくさんの人たちの命を救っています。
それができているあなたは最高に素晴らしい人です。
ただぼーっとして時間だけが過ぎていく。
これでいいんだと思います。
って、結構贅沢な時間だと思いませんか。
校則廃止中学の前校長「何もしない時間は子どもの成長に必要」

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