この方式が導入されたとして、まともに対応できる大学の教員は一体何人いるのでしょうか?
「アクティブラーニング」「問題解決型学習」とか取り上げられて、研究推進校まで指定されていますが、本質は何も変わっていません。
「主体的に学ぶ」とは、他から与えられた内容を「こなす」ことではなく、自らが課題を設定しそれを解決する方法を考えていくことです。
課題も結論も自らが導くものです。
日本の学生の多くは主体的な学びとは何か分かっていないし、その方法も学ぶ経験もありません。
教員が課題を提示し、ただひたすら言われた通りに解答までたどり着いているだけ。
やらされる勉強、受け身の勉強しかしていません。
そして、教員も与えられたカリキュラムをこなしているだけで、なんとも面白くもない勉強をさせられています。
こんなスタイルで学習してきた学生や教員に自分で考えろと言っても無理。
日本の学校に自己主張できる教員が何人いるのでしょうか?
ほとんどいません。
教員があらかじめ決められた課題を全て段取りしたことをやらせているだけなので、主体的な学びなど不可能です。
大学入試以前の問題がありありです。
日本の学校教育は自己主張する人間を排除する制度
日本の学校ではホンモノが育たないのは当たり前ですね。
日本人でもホンモノと言われている人たちは、学校システムの外で自分で勉強しています。
しかし、「学校信仰」を信じて疑わない日本人の多くはどうしても学校へ行かせたいんですよね。
なにかというとKYといわれる日本社会、「みんな一緒がいい」とされる日本の教育で「やりたいことがない」という子どもが生まれるのは当たり前です。
日本の学校教育は、子どもにも教員にもそうなるように強制し、そこから外れる、自己主張する人間を排除する制度です。
指示待ち人間養成機関、考えないロボット製造工場で作られた子どもたちがどんな大人に成長していくか恐ろしいです。
だから私は、「学校に行かない!」と決めた子どもたちを応援していきます。
今の学校のカリキュラムは我慢大会か罰ゲームです。
よくやっていると思いますが、私にはできませんね。
同調圧力に従い周りに流されるのが一番安全な教員集団
また、教員は「変なプライド」を持っていると言った方が正確ですね。
組織の中で自己主張する者は切り捨てられますので、自分の身を守るには空気を読んで、同調圧力に従うしかないんです。情けないです。
彼らは実力がないので、周りに流されるのが一番安全なんです。
組織の中に入ってみると、それがよく見えてきます。
文句や批判はいくらでもできますが、目の前の子どもたちをどうしていくかという具体的な論議と実践が必要ですね。
現状では学校の存在は大きいですし、対立しても誰のためにもなりませんから、根気よく対話をつづけていくしかないです。
大きな枠組みを変えるには時間もかかりますので、目の前の子どもたちに自分自身が何ができるのか考え、それを少しずつでも実行していくことだと思います。
このような取り組みをしている方は各地におられますので、自らが主体的に動くことによって主体的な子どもたちを育て、次世代につなげていくことができると思います。
それには、自分の身近な人と直接対話を続けていくしかないです。
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