「不登校の解決」の姿とは、どんな姿、どのようになることだと考えていますか?
その解決に向かって、あなたはどんなことをしていますか、または、していったらいいと考えていますか?
今日は県教委主催の「不登校について話し合う」会に参加しました。県教委の不登校対応担当者、特別支援教育担当者の方や保護者、教育関係者が参加した会です。
そこで思ったこと。
これ、何回でもいいます!
「不登校対策」とは「学校に来ない子」を「学校に来させる」方法を考えることではありません!
「学校に行かない子を減らす」ことではありません。
学校に行かなくても安心して学べる環境を作っていくこと、それは物理的な学びの場所を作ることはもちろん、社会的な「差別的」な考え方、偏見を変えていくことも含みます。
「学校に行かない」ことは「問題行動」ではないのです。
いい加減に「不登校の子をなんとかして学校に戻そう」という発想から脱却すべきです。「学校に行けばOK」「学校に行けば解決」ではありません。
学校に行く子は行けばいい、学校に行かないなら行かなくてもいい。行くのもあり、行かないのもありです。
大切なことはすべての子どもの「学習権の保証」です。「学校に行かない子」だけがその対象ではなく、「すべての子ども」が対象です。
「不登校対策」って、なんだか「不登校の数」を減らすことが目的になっているのではないか。
繰り返します。
「学校に行かないことは問題ではない」のです。「学校に行かない」ことで差別的な対応をされること、不利益を被っていることが問題なのです。
それを解決することが重要なんです。
学校に行かない子どもが増えている「事実」をどう見る、どう考えるか?
毎年のように学校に行かない子は増えています。これが日本の学校の「事実」です。現実です。
これまで長年「不登校対策」を行ってきた「結果」がこの事実です。
子どもの思いを聴かないで、子どもの思いを無視した対応、対策をしてきた結果が今の現実です。
だから、これまでと同じことをしても何も変わらない。「対策を講じました」という形だけが残り、肝心の子どもたちはまた放置されたままになります
「不登校対策」として「子どもを学校に行かせよう」とした結果、学校に行かない子どもはどんどん増えているのです。
この「現実」をどう見るのか、どう考えるのか?
そしてその改善(学校に行くことだけが解決ではありません)のためには何を変えなければいけないのか具体的に考え、それを実行していく必要があります。
つまり、これまでの「不登校対策は子どもの学習する権利を奪ってきた」という反省からスタートし「学習権を保証」するための具体的な実践をしなければなりません。
「不登校対策」のひとつが「学校に行かなければ○○できない」という認識を変えていくことです。
「学校に行かないで学ぶ」ことができる場を増やしていくことです。
学校に行かない子どもを学校へ戻すことがゴールじゃない!
文科省は学校に行かない子どもの「学校復帰率を上げろ」などとはいっていない。
しかし、現実として学校現場では「学校に来ないとダメ。だから学校に戻す」対策が長年行われ、親も「学校に行かせることが目的」になっていて「子どもが学校に行けばOK」という人が多い。
それは「親の解決」「親の自己満足」であり「子ども本人の解決」ではありません。
大切なことは子ども自身の意思決定です。「子どもの学びの権利を保証する」ことです。
学校に行く行かないは親の望みではなく、子ども本人の意思によって決まります。
このような子どもの思いを無視した対策ばかりが行われているために「不登校問題」が解決しないのです。
保護者からも「どうやったら子どもが学校に行きますか?」という相談が多いです。
そのとき、「それは子ども本人の思いですか、親の希望ですか?」と聞きます。
それに対して「子どももきっと学校に行きたいと思っていると思います。」といわれます。これは子どもの思いではなく、親の思いですから。
それで親は安心するかもしれませんが子ども本人はまったく安心も納得もしていませんから。
このように、親は「学校に行くことが前提」で「学校に行かせる方法」を聞かれるケースが多いです。
だから学校側も「なんとかして学校に来させよう」とします。
そこに、子ども本人の意思はありません。
それが大きな問題なのです。
だからまずは、「子どもの思いを聴ける」親や教員になることが第一です。それをやらないで「不登校対策」などできるはずがありません。
こちらに学校に行かないで活躍している人はたくさんいる「事実」にもっと目を向けようについて書いています。
学校に行く行かないで子どもを評価することはまったく意味がありません。
大切なことは本人の意思決定を尊重すること、そしてその実現に向けての環境つくりをしていくことが重要です。
「学校に行くか行かないか」の二者択一じゃない!
ラーメンが食べたかったらラーメン屋に、カレーが食べたかったらカレー屋に行けばいい。お腹がすいてなければ食べなくていい。
学校が合う人は学校に行けばいいし、学校が合わなかったら違うところ行けばいい。
つまり、「学校に行くか行かないか」の二者択一じゃないってこと。
自分の好きなことを好きなところでしたらいいってことです。
そのどれを選んでも「正解」なんだから。
しかし、「学校に行かなくてもいい」だけでは不十分です。
学校に行かなくても安心して過ごせる居場所が必要ですが、学校や支援センターではない子どもたちの「居場所」はまだまだ足りていない。
「居場所」には「場所という空間」と「人という理解のある仲間」の存在、そして「マイペースで過ごせる時間」が必要です。
だから、それさえあれば学校の外ではなく学校の中にも作ることができます。もっと柔軟に対応した学校を作ることで可能です。
そのためにはたくさんの人たちの理解と協力が必要です。
子どもたちが安心して過ごせる居場所が絶対に要る
毎年2学期が始まる前にいろいろな人が「学校には行かなくてもいい」というようになりました。
それはそれでいいのですが、学校を休んでも子どもたちはどこへ行けばいいのでしょうか?現実には家で過ごすしかない子もたくさんいます。
そして何よりも重要なことが子どもたちが主人公になる安心して過ごせる学校にすることです。
市長も教育長も学校長も親も地域の人たちも「学校に行かなくてもいい」といったらいい。
でもそのためには子どもたちが安心して過ごせる居場所が絶対に要る。
学校や教育委員会以外で相談できる場所も人も必要。それは特別な場所でなくてもいい、特別な人じゃなくてもいい。近所の公園や公民館、文化センター、図書館。近所のおっちゃんやおばちゃんもいい。
子どもが行きたいと思った時に行ける場所や教室を学校の内にも学校の外にもつくる必要がある。これも特別な場所じゃなくていい。近所の家に立ち寄って話を聴いてくれる人がいたらいい。
それだけじゃない、学校そのものを安心して過ごせる場にする必要がある。