そもそも学校に行く行かないで考えなくてもいいんじゃないんですか。
自分で学びたいことややりたいことが先にあって、それをするために必要な場所に行ったらいいんですよ。
学校はその中のひとつの場であって、学校がすべてじゃないんですよ。
だから「学校に行かせるための支援」ではなく、「行きたくなるような学校や場所を作る」べきなんですよ。
そうしたら、「不登校」なんてなくなりますよ。
学校ありきじゃなくて、「学びたい」が先なんですよ。
だから、学校に行かなくたって、堂々と外を出歩いたらいいんですよ。
行くところがないなら、うちにおいでよ。
相手の立場になって考えることはむずかしいけど、その人に関心を持つことはできると思います。
そこから関わりが始まるのだと思います。
「官民連携」や「不登校特例校」の拡充の必要性を踏まえたうえで、「児童生徒の『社会的自立』を目指し、児童生徒にとって何が『最善の利益』であるかという視点に立ち、長い目で支え見守ることが大切だ」と言う。
不登校をめぐる動きが加速するなか、気になることがある。「不登校はいつまで支援の対象なのか」という問題だ。「学校に行かないこと」をどう捉えるかによって、課題は新たに次々と生まれ、解決のための施策を講じなければいけなくなる。視点を変えるだけで、取り組む必要のない施策も多くあるのではないか。
無論、不登校の子どもを具体的に支える環境整備の重要性は切に感じている。しかしながら、2年前に大きな話題となった鎌倉図書館のツイートにあった「一日いても誰も何も言わないよ」という一文に秘めたまなざしこそ、子どもの「今」を支えるうえで、また不登校施策の今後を見据えるうえでも、欠かせない視点ではないだろうか。
少子化のなか不登校が過去最高~そろそろ「支援」を見直すべきだ【不登校新聞・記者コラム】