教育

不登校は生き方のひとつの選択肢でネガティブな体験でもない

投稿日:

不登校は生き方の選択肢のひとつ。
ネガティブな体験でもない。
学校へ行かない生き方もある。
学校へ行かなくても中学校は卒業できるし、高校や大学にはいつだって行ける。
進学しない生き方だってある。
私は教員になってから不登校を選択して、今の生き方を決めました。
学び舎 傍楽「不登校のおはなし会vol.10 特別企画開催!」

「大人の安心」のために「子どもの不安」を増やしている

50年前の当時は、「学校に行かない=病気」という構図ができあがっていて、親も、どこかに入れて「治療」してもらわないといけないと思っていた。
子どもの人権を無視した、児童相談所による強制的な児童拉致も行われていたことを知らない人も多い。
あれから50年経った今も、学校へ行かない子どもへの視線、この構図や対応の仕方はあまり変わっていない。
親も学校も「なんとか学校に行かせたい」という考え方が根強い。
「学校に来させる」ことで「教員」が安心したいのだ。「どこかに入れる」ことで、「親」が安心したいのだ。
このような「大人の安心」のために支援している専門家や専門機関も多い。
彼らは「それが子どもの幸せ」だと信じて疑わない。
これを、私は「学校信仰」といっているが、「学校へ行かない、行けない子どもたち」は、それで自分を追い詰めている。
子どもだけでなく、親や教員が「見えない不安」を感じている背景に、この学校信仰がある。
親や教員のしていることは、「見えない不安」を取り除くためにしている「大人の安心」の押しつけであり、「子どもの安心」ではない。「大人の安心」のために「子どもの不安」を増やしているだけなのだ。
親の期待に応える子どもが「いい子」ではありません。
誰に対してもちゃんと自己主張できる子どもが「いい子」です。
だから、「学校へ行きたくない、行かない」と言える子どもはいい子なんです。
ボクも、いい子でした。
私たちにできることは、学校信仰からの解放です。
早く学校信仰から目を覚まして、子どもたちを解放してやりたい。

学校に行って、給食でゆでたまごが出るかもしれないと思うだけで、ふとんから出られなくなりました。それで、「病気」になるわけです。実際に熱が出たり、お腹が痛くなったりして、いま思えば、それは「病気」がボクを守ってくれたんだと思います。そのおかげで学校に行かないですむ。
 でも、その代わり、精神科医や児童相談所に連れていかれました。学校に行かなくなったのは5年生になってすぐでしたが、5月には明石の児童相談所の一時保護所に入れられて、2カ月ほどいました。

不登校50年証言プロジェクト #23 児島一裕さん

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

菊池桃子「PTAの役員決めが問題なのではなく、PTA活動自体に問題がある」

桃子さん、さすがです。 「手伝いたい方が仕事に支障を来さない形で参加できる仕組みに変える」 その通りですね。 PTAの役員決めが問題なのではなく、PTA活動自体に問題があるのです。 子どもにとって大事 …

鳥取県教育委員会作成の「教育相談体制充実のための手引き」について

鳥取県教委は、新たに「手引き」を作成し、夏休み中に各学校の支援体制を整えてもらう考えだということですが、これまでも内部の担当者だけで作っている手引きがあります。 その結果が今回の数字です。 まず、この …

小二の男の子が書いた本「おこるとどれだけそんするか。?」

親も教員もおこり過ぎています。 よくあるのが、いかりに任せて最後に「わかったわね。ごめんなさいでしょ!」と一方的に誘導して「ごめんなさい。」と言わせて納得している大人がいます。 悪いことをしたら、そん …

教育現場でICTを活用しないほうがリスクになる

文部科学省が推進しようとしているICT教育とは、インターネットを使って情報活用能力を育成し、協働型・双方向型の授業革新を進めるものです。 教育現場でICTを活用しないほうがリスクになる時代になっていき …

児童に「死ね、バカ」発言の元担任を訴えた母娘に真相を直撃

教育現場、学校を変えていかなければ、子どもや親御さんは誰にも何も言えなくなります。 こんなことを放置していてはいけません。 学校も教員も教委の目を気にして対応していますし、教委は文科省からの命令で動い …

スポンサーリンク

スポンサーリンク