21世紀の松下村塾

人こそが人生の財産、人生を楽しむために一番大切なものは自由な時間

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9月30日に、鳥取大学の学生2名が11月11日に行われる「教育だっぴ」の事前打ち合わせに倉吉まで来てくれました。
私が教員をしていたころの経験を聞きたいということで、この企画のゲストに呼んでくれたのですが、2人といろいろな話をする中で、「自分自身はこれをやりたいんだな。」という気付きを得ることができました。
自分自身の内面にあるものが今の行動として現れていること、さらに、これから自分が目指したいことまで広がっていきました。

多くの人は固定観念で自分を縛っています

人はこれまでの経験から勝手に固定観念を作り出しています。
パターン化やレッテル貼りも同じです。
それはそれでなにかしらの「安心感」を感じることができるのですが、それがどれだけ自分自身を縛っているか、他人と比べてできない自分、なれていない自分を見て劣等コンプレックスを増やしているか考えたほうがいいと思います。
安心感を得る代償として不安を大きくしている場合があるのではないでしょうか。
さらに、毎日毎日同じパターンの繰り返しでは、その固定観念がますます堅く、強固なものになっていきます。
だからこそ、自分の世界と違う世界に触れる機会を意識的に作っていく必要があります。
最もいいことは直接その場に行ったり、人と会うことが一番です。大きな刺激を得られます。海外に行くなんて最高の自己改革になります。
自分のいる世界を外から眺めることによって多くの気づきが得られ、自分にしかない良さ、強みを見つけることができます。
他者と対話をすることを通じて見えなかったものが見えてくることは多いです。
そういう意味でも今回はとてもいい機会をもらったと思っています。他人と対話することによって、実は自分の内面と対話しているんだなと感じることができました。
だから、私は敢えて自分とは異なる人と会うことが人生の楽しみの一つになっています。

短所は見方を変えたら長所になる

短所とか長所とかって、これも結局他者との比較による相対的な評価なので、ものさしを変えればどのようにも見えてきます。
だから、短所、長所という言葉自体がナンセンス、意味を持ちません。
なので、自分では短所としか見えないことが他人から見たらスゴイ長所に見えていることの方が実は多いです。
自分で気づかない良さは他人にしか見つけることができませんから、自分の価値観や評価基準を持っていない人と出会うことが大事です。

今までもこれからも、みんなと同じではなく、人と違うことが重視され価値がある

「あなた変わってるよね。」
これ、最高最大の評価です。
人と同じであることで安心する人は多いと思います。
しかし、人間というのは同じ土俵や同じ基準で他人を比べることで、必ず優劣をつけます。必ずです。
他者との比較によって優位性を感じたり劣等感を持ったりすることが多いですが、同じことに目を向けるのではなく、敢えて他人と違うことをやってみると「自分、結構やるじゃん、結構いいとこあるじゃん」と思え、自信がつきます。
これが同じ土俵で同じものさしで見たら「できない自分はダメだ」ということがクローズアップされてイライラが募り不安も大きくなっていきます。
誰かさんじゃありませんが、自分の勝てる場で戦う、自分の得意を活かすことができれば楽しくなります。もっとやってみたくなります。しかしこれ、ただ褒めればいいというのではなく自分自身が自分を認め、納得していることが大前提です。
評価基準も自分の内にあり、自分で作ればよく、自己満足が最高点であればそれが一番いいのです。
私の場合は、いかに他人と違うことをするか、違う意見を言うかが基準となっています。それができたら自分で自分を褒めます。

自分とまったく同じ価値観の人はいない。他人は他人、自分は自分

これも他者との比較によって引き起こされることですが、「みんなで同じであること」で安心感を得るようになると自分の価値観を人に合わせようとしたり、自分の価値観を他人に押し付けようとしたりしてしまいます。
人はみんなが違って当たり前なのに、違うことが不安になることは多いです。しかもそれが少数派の場合は不安が大きくなります。これは同じ価値観、同じものさしで計ろうとしているために起こります。
みんなが自分だけのものさしをもてば、みんなが100点満点になれます。
しかし、平均点や偏差値というものを持ちこむと、多くの人は「他者と比べて劣っている部分」にしか目を向けないようになります。劣っている部分をなんとか平均に上げようとして苦しむことになります。平均点より上になることで満足感を得るようになると、それだけが唯一の目標となって他が見えなくなってしまいます。競争によって勝つことだけが目標になると自分が見えなくなります。
そうではなくて、自分のものさしを持てば平均点や偏差値というものに意味はなくなります。というか存在そのものがなくなります。
全ては自分であり、自分が決めることなのです。

強制されたことは、やらないか、やったふりをするだけ。主体的な行動にはつながらない。

これは今の学校教育、社会教育、社員教育すべてに通じることです。やらせやらされで育つとどんな人間になるか、それはすでに明らかです。他人と同じ行動で安心する、他人との違いを認めない、違いを排除する人間が育ちます。今の日本社会の傾向に現れています。
昨日行ってきた神戸旅行の行く先々でも感じたのですが、とにかくいろいろな場面でいちいち「うるさい」。
「ああしなさい、ここではこうしなさい」と、言われなくても判断できることをいちいち言われるわけです。
中にはもちろん安全に注意することもあるのでしかたがないとは思いますが、とにかく指示命令的なことが多すぎると感じました。もっと一人ひとりが自分で考えて自分の責任で行動をしてもいいのではないかと感じたのは私だけではないと思いました。
「こげなよけいなこといちいち言わんでもえーがな!」が多すぎる。
学校でも社会の中でも手取り足取り、いちいち指図してさせられていることが多すぎる。さらにそれをしないことで責められる事例は本当に多いと思います。
もっと本人の自由にやって、できるできないも自分の責任として任せることができたら、みんなもっと生き生き動くことができます。それが自信となってさらに積極的な生き方ができるようになります。

子どもには大人が日々楽しんで生活している姿を見せることが一番大事

なんだかんだでやっぱり自分は他人と関わることが楽しいんだなって思います。特に子どもたちの楽しそうな表情を見ると、自分のことのようにうれしくなっちゃいます。
そんなこともあって教員という道を選んだのですが、退職した今でもそれは続いています。「教員」という肩書はなくなりましたが、人材を育てる、人と関わって学び合うという姿勢に変化はありませんから、今もそれを求め楽しんでいます。
ただ、誰かに強制されることも強制することも大嫌いなので自分なりのスタイルでやっています。
そこで最も重視しているのが「楽しさ」です。
「できる、できない」「何点取った」ではなく、それをやることが楽しいかどうかが最も重要です。たとえその結果としてそのときはできなくても、やっているプロセスが楽しければそれが一番です。
その楽しいと感じることを続けることによって、最終的には「できる」ようになり「100点満点」の自分になれます。
でも、多くの人は「できる、できない」や「何点取った」かを目的にしていいますから、そのために今のことを我慢したり、辛抱したり、無理したりして、楽しむことを犠牲にしているような気がします。
大人が楽しんでいる姿を見たら、子どもは「ボクもあんな大人になりたい!」ってきっと思います。
その反対に無理して辛い思いでいる姿を見たら、「あんなにしんどいなら、大人になんかなりたくない!」って思います。
子どもたちには、何かができる大人ではなく、自分の生き方を楽しむ大人、そんな自分が好きだという大人の姿を見せたいものです。それも他人が決めることではなく、自分が決めることなんです。そんな大人が増えたら子どもも楽しく育って、もっといい世界が創れると思います。

他人は変えられないが、自分の見方、考え方を変えると世界が変わる

これもよくいわれることなんですが、過去のできごとは変えられないですが、そのできごとの受け止め方や意味づけを変えるだけで全く正反対になります。
マイナスに感じている出来事も見方を変えるだけでプラスに変えることもできます。
プラス、マイナスという表現も「なんらかのものさし」によって決めつけた受け止め方の違いです。見る人や見方によって短所が長所になったり長所が短所になったりするように、とても不確実なことなんです。
具体的な事例はここでは書きませんが、だから自分の見方を変えることができたらどんな未来だって創っていくことができるんです。

世界は自分中心で回っているのだから、もっとみんながわがままに生きたらいい

2人の学生に最後に伝えた言葉がこれです。
これからの未来を創っていくのは自分です。あなたたち自身です。
大学の授業のこと、どうしても他人からの目が気になっちゃうこと、教員という仕事に対する不安と期待など、それは当たり前のように誰にでもあることです。
だけど、それで自分を追い込んだり不安を増やしたりするよりも、「自分は自分」という思いを強く持って、好きなことをしたらいいです。「わがまま」というと「他人のことを考えないで自分勝手に振る舞う」と感じる人が多いと思いますが、今の世間はあまりにも他人のことを意識し過ぎている人が多いと思います。
他人に迷惑をかけないで生きるなんて不可能です。みんなが関わって生きていくとうことは迷惑の掛け合いなんです。
それを事前に予防しようとするからよけいなことを考えなくてはいけない、気にしなければいけない。いわゆる「空気を読む」生き方ですが、空気なんか読まなくたっていいんです。それを「わがまま」という言葉で表現しました。
他人に合わせる必要もないし、同じことをしなくてもいい。私の場合は敢えて他人と違うことをしたがるタイプなので、いかにして違う行動や発言をしようかということばかり考えています。それが楽しいからです。それが自分にしかできないことだからです。
だから、最も苦手なことが集団行動です。他人に合わせて行動することほど苦しいことはありませんから、勝手に動いていますが、それが迷惑なことではありません。

「自分は自分」自己肯定感を高めるには?

では、「自分は自分」という思いを強く持つにはどうしたらいいか?
これは、自分の好きなことを思いっきりやることでしかできません。他人の目を気にしてやりたいことを我慢していては、絶対に自己肯定感は育ちません。
だから、これから教員を目指す学生たちには好きなことを思いっきりやってほしいと思います。それをやらないで教員にはなってもらいたくありません。好きなことを我慢してきた教員に誰も教わろうとは思いません。それは子どもにも伝わります。つまらない先生に教わろうとは思いません。楽しくてワクワクしている先生からなら学びたいと思います。そんな先生なら、周りの目を気にしないで、自分の責任として子どもたちにも好きなことを思いっきりさせることができます。
もし私が教員採用の担当者だったら、その質問をして採用を決めます。
これまでに得たものの中で一番価値のあるものは、人との縁です。
人こそが人生の財産です。
だから、人間っていいなって思います。
人生を楽しむために一番大切なものは、自由な時間です。
何かをするための時間だけではなく、何もしない時間も大切です。
11月11日に行われる「教育だっぴ」にはこんなことも話そうと思っています。
と、こんなことを21世紀の松下村塾ではやっています。
自分の良さや強みを発見したい人、ここでいっしょにあなたの持っている宝物を探してみませんか?

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