「教育委員会や警察にまで相談しているのに、どこも動いてくれない。」
これが、今の現状です。
いじめは犯罪だ!
被害者が声を出さない限り、なにも変えることはできません。
なのに加害者も被害者も犯罪だという認識ができていません。
今は「いじめは得」という状態にあります。
いじめてもなんの咎も受けない、いじめを許しても何の罪も問われないのであれば、いじめがなくなるはずがないのです。
いじめる側、加害者を罰することができなければ、被害者が逃げることが「損」になってしまいます。
司法に訴えても警察に言っても、加害者が負ける構造を変えていかなければ、加害者に「損」を与えることは不可能です。
いじめは学校や職場での人間関係が要因になっているケースがほとんどです。
学校に行くか行かないかで、その子の人生が決まるわけではありません。
世間には、学校に行くか行かないかでその子の人格まで評価されるような風潮がありますが、これは間違いです。
学校に行くか行かないかなんて、どうってことないんですよ。
さらに、どんな学校に行ったかによって、人の価値が決まるなんてことは絶対にありえません。
いつまで学歴信仰にしがみつくつもりなんでしょうか?
学校なんて嫌なら行かなくていいんです。
自分が学校が必要だと思ったら行けばいいだけのことなんです。
自分の好きなことで生きていくには
好きなことを仕事にするのに必要なのは勇気じゃなくて「やり方を知る」こと、情報です
これは学校だけでなく、会社でも同じこと。
会社が合わなかったら合う仕事を見つけるか、見つからなかったら自分で仕事を作っちゃえばいいんです。
自分で仕事を作ってどんどん稼いじゃいましょう。
就学時期になったら学校へ行って、就活時期がきたら嫌な会社にへこへこして、就職後もやりたくもない仕事(これは仕事ではなく作業)を嫌々やらされて、ほとんどの人はこうやって生きている。
どっかに「所属」していないと怖いんです。
職種によって人が評価される、仕事の内容によって人の価値が決まるなんてことはありません。
どれだけ他者の目が気になっているのでしょうか。
組織に縛られて生きることしか道がないわけではないんです。
これって、ほんとにそう思い込んでいるだけ。
子どものころから一生、そうすり込まれてるだけ。
道から外れるのが怖いんです。
「ここにいれば楽」とか「どこかに所属していたら安心」とか、自分を納得させたいからそうしてるだけ。
生まれてから周りの環境に影響されて、そう思わされているだけなんですが、気づかないんですよね。
気づいていても、他の方法、逃げ道を知らないからただただ我慢しているだけ。
これって、つまらない人生だと思いませんか?
この先の道はたった一本ではなくて、選択肢はいっぱいあるのに自分で行く道を決めつけているだけのことなんです。
もっとひどいのは、親や教員が進路を勝手に決めて、そのレールの上をただただ進んでいるだけ。
そこに、自分の意志はありません。
自己の決定権は自分自身にあるのです。
学校や会社が嫌ならとっとと辞めて、自分のすきなことをやったらいいんですよ。
みんな好きなこと、ワクワクすることをして楽しく生きたほうがいいでしょ
やりたいことが見つからないのは、好きなことをやらせてもらってないから
親日のマレーシアが子どもの教育に向いているこれだけの理由