大変気になる記事です。
新聞の一部の記事としての情報しか分からないのですが、「一部の児童が授業中に歩き回ったり、友人に暴言を吐いて不登校になった」のは、その子に問題があるのではなく、学校が子どもの教育の場として機能していないといえます。
「学級として機能していない」という表現はいかがなものか?
「学校として機能していない」
「学校が教育の場として機能していない」
という見方もできます。
「学級として機能する」とは?「一定の成果」とは?具体的にどういう姿をいうのか聞いてみたい。
一番大切なことは「HELP」と言える関係
このような行為を行っている行動面だけでなく、児童の気持ちや内面をしっかりくみ取ることができているかが重要です。
懸命にメッセージを伝えようとしていたに違いないと思いますが、これまでの学校生活において児童理解が十分にできていたのかが問題です。また、決して担任にその責任を押し付けるようなことがあってはなりません。
それまでに学校の中に児童一人ひとりを支える体制ができていたのか?
児童・保護者と教員との信頼関係はどうだったのか?
日常的な関係作り、支援体制がどうだったのかをチェックする必要もあります。
学校や児童への支援については支援学級なども設置して様々な人や機関が関わっていますが、十分に対応できていないことも少なくありません。
親に対する教育相談やペアレントトレーニングなど家庭への支援も行われています。
この記事には、「元教員」の指導主事や「警察OB」のスクールサポーターが対応したとありますが、なぜ「元教員」や「警察OB」なのか?
学校には、特別支援教育主任を中心に学校体制で児童生徒を支える仕組みが作られています。
特別支援学校、特別支援学級も設置され、LD等専門員、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、作業療法士、など、関係機関の支援を受けることもできるようになっています。
これらの学校への支援機関の関わりはなかったのでしょうか?
それらの関係機関はきちんと機能していたのでしょうか?
「機能している」というのは、どんなことでも「HELP」と言える関係があり、それに対して適切な対応ができていることです。
立場や肩書き上の形だけの関係では機能しているとはいえません。
それでは責任回避のための逃げが優先します。
関係機関がお互いに機能するとは、そこに直接顔を合わせた徹底した「対話」があるかどうかです。「対話」を通じてしか信頼関係も具体的な対策も出てきません。
問題を解決しなければならないなら、直接コミュニケーションするしかありません。
学校はこういうことが起こると、内部だけで解決しようとして外部に出すことを嫌がる傾向があります。
外部からの立ち入りを嫌うとても閉鎖的な社会です。
学校は学校としての対応をしているとは思いますが、内部だけで解決しようとすることは決していい方法ではありません。
子どもが担任に、担任が管理職に、管理職が外部機関に対して「HELP」といえる関係になっていなければ、自分の都合の悪いことは話しません。それを隠そうという働きが生じます。
学校への支援機関が機能しているのか見直しも必要
絶対に排除の理論から児童を指導するというようなことがあってはなりません。
この4学級の事例は決して特別なケースではないことを真摯に受け止めて、すべての子ども個々のニーズに応えるためには個別指導ではなく学校の環境改善で対応していくべきです。
学校への支援機関が本当に機能しているのか見直す必要もあるかもしれません。
このケースを「子どもに問題がある」と見るのではなく、「学校教育の見直しが必要である」という児童からのメッセージだと受け止めて今後の取り組みを進めていく必要があります。
米子市教育委員会は23日、昨年度の調査で市内の小学校23校計362クラスのうち4クラスが「学級として機能していない状況」だったと市議会総務文教委員会で報告した。本年度は今のところ、問題の報告はないという。
市教委によると、4クラスは一部の児童が授業中に歩き回ったり、友人に暴言を吐いて不登校になったりして、学級集団として機能していない状況と判断した。
市教委は、元教員の指導主事が継続的に学校を訪問して児童へ声掛けしたり、警察OBのスクールサポーターなど関係機関と連携して対応したと説明。いずれも年度内の改善に一定の成果があったとした。(田子誉樹)
日本海新聞4クラスが「機能せず」米子市内小学校