何度でも言います!
不登校が問題なのではなく、「不登校を『問題行動』だとしていること」が問題なのです。
学校システムそのものが不登校を生んでいるという認識が必要にも書いたとおり、2016年(平成28年)9月14日には文科省が全国の自治体や教育長宛に「不登校は問題行動ではない」という通知を出しています。
・不登校児童生徒への支援は「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要がある。
・「不登校である状態」が悪いのではなく、「十分な支援が受けられなくなる」ことによって児童生徒にとって不利益なことが生じることが問題である。
・学校や教育関係者が充実した指導や家庭への働き掛け等を行い、関係機関との連携をして支援等を図ることが必要である。
さらに、不登校は「登校ありき」の勝手な決めつけ用語であり、「登校」「下校」「登園」「降園」ではなく、「通学」「通園」が正しい言い方です。
学校も園も上に位置するものではなく、同じ場所に存在しています。
なぜ、学校や園に上ったり下ったりしなければならないのか!?
あえて「不登校」という用語を使いますが、不登校も登校も「上下関係」でも「優劣」でもなく、単なる「違い」であり、選択肢の一つひとつにすぎません。
学校と家の間には上下関係も主従関係もありません。
「登校」(学校へ行く)は、英語で go to school
「下校」(学校から帰る)は、英語で come home from school
といいます。
東京へ行くことを「上京」「都に上る」といいますが、英語では、go to Tokyoとgo(up) to Tokyoの二通りあるようです。
「首都が高いところにある」という観念は英語にもあり go up to London という言い方もするようです。
しかし、学校は高いところにはありませんから、「登校」「下校」という使い方は間違いです。「通学」が正しいです。
そして、学校に行かないという選択をした子どもに「不登校児童生徒」という「問題児」だというレッテルを貼ること、それしか選択しかできない社会体制の側に問題があるということも強く認識する必要があります。
文科省や教育委員会の言っていることとやっていることは全く矛盾だらけです。
学校に行かないことが問題なのではなく、学校しか選べないこと、自分の行きたい学校がないことが問題なんです。
「不登校」を選択した子どもたちは、社会に学びの保証を訴えているのです。
学校以外の学びの場を保証していくことが国民の義務であり、責任です。
子どもにあるのは学校へ行く義務ではなく、行く場所を選べる権利です。
不登校児童生徒への支援の在り方を「通知」で終わらせないためににも書きましたが、いかにしたら不登校対策が実現できるか学校としても対応の仕方が分からなくて困っているのです。
だからこそ、「子どもの社会的自立」のためにいろいろな機関や関係者が本当の意味で連携していくことが必要です。
形だけの組織図だけ作っても何の意味もありません。「不登校は問題行動ではない」という強い認識のもとで個々に応じた対応と環境調整を進め、「教育の機会の確保等に関する法律の公布について」にもあるように、多様な早急に具体的な学びの場や居場所作りをしていく必要があります。
基本理念
1 全児童生徒が豊かな学校生活を送り、安心して教育を受けられるよう、学校における環境の確保
2 不登校児童生徒が行う多様な学習活動の実情を踏まえ、個々の状況に応じた必要な支援
3 不登校児童生徒が安心して教育を受けられるよう、学校における環境の整備
4 義務教育の段階の普通教育に相当する教育を十分に受けていない者の意思を尊重しつつ、年齢又は国籍等にかかわりなく、能力に応じた教育機会を確保するとともに、自立的に生きる基礎を培い、豊かな人生を送ることができるよう、教育水準を維持向上
5 国、地方公共団体、民間団体等の密接な連携
義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律の公布について(通知)より
しかし、残念ながら文科省にしても教育行政にしてもそんなにたいそうなことを考えていません。
形だけ、カッコだけ作っていればいいくらいの考えでやっています。
彼らもやらせられているだけ、使われているだけのただの歯車の一つですから主張することは禁じられています。
それが見え見えなので、賢い人は自分で勝手に学んでいますね。
文科省「児童生徒の問題行動調査」 不登校を「問題行動」と判断してはいけない指針と矛盾…
もっと個々の背景に目を向けて