評価しようということが大きなまちがいです。
道徳の教科化が一番不道徳なことです。
100人いれば100の「ものさし」がいるんですよ。
これまでだって道徳の副読本はあったけど、全部消化した教員はいないでしょうね。意味がないのです。
道徳の教科書があるのですから、当然評価基準は作られます。
1時間ごとに道徳の授業の目標があり、それに応じて「道徳的価値観」が達成されたかどうかを観て総合的に判定するものが「評定」となります。
しかし、個々の「道徳的価値観」が国家によって押し付けられた「ものさし」で評価されることは大変危険です。
国語や算数の評定も、学力のごくごく一部分を見ているだけなのですが、多くの人はそれを個の学力の総体として見ています。
一部分だけを切り取って、「頭がいい」とか「勉強ができる」という見方です。
それが道徳に導入されるのですから、「人格の評定」と見られるとしたら恐ろしいことです。
他人の「道徳的価値観」を評価するなんて不可能です。
もっとも、多くの教員は評価そのものがおかしいと考えているでしょうけど。
「心の評価」悩む学校=教師「基準なく難しい」-通知表記述で忙殺も・道徳教科
道徳科の評価をどうするかが大問題
周囲の若手教師に話を聞くと、道徳の評価が一番気にかかると言います。もちろん、各学校で評価の仕方の指針が示されると思いますし、一教師の個人的な方法で評価をすべきではありません。そうであっても、最も大切なことは記録を残していくことだと思います。
他の教科でさえ記録を残すのは至難の技ですから、教師が記録を取ることを第一に考える必要はありません。ワークシートでも振り返りカードでも、各学校の考え方に応じて、子どもの言葉で記録を残すことを考えていってほしいと思います。そして、時間にも体力気力にも余裕があるときに、気付いたことをメモ程度に残していきましょう。
評価のために記録を残すことは大切なことです。しかし、超多忙な中でそれをどう分析して評価に活かすのか?それをいつやるのか?
まずは授業プランの作成、それに加えて児童生徒の記録を残すだけでもかなり大変です。
道徳一年生 NO.1「評価のために記録を残そう!」