教育

学校は子どもたちがICT機器と自由に遊べる時間を確保するだけでいい

投稿日:

2020年の学校ではプログラミング教育が一つの目玉になっていることは確かです。
堀田さんの「論」もしごくまともだとは思います。
が・・・
かつて学校へPCが導入された時もそうでしたが、興味のある先行実践をしていた一部の教員は自分でカリキュラムマネジメントをして各教科の中で活用できていましたが、その授業の準備にはかなりの時間を要していました。
未だに多くの授業ではICT機器も利用されないまま、旧態依然とした教科書学習です。
今回のケースでも、実際に「プログラミングと教科の内容をつなげて考えられる」教員がどれだけいるのか。
小学校の新学習指導要領の総則に「児童がプログラミングを体験しながら、コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動」とありますが、具体的にどういう学習活動なのか見えている教員は少ない。
確かに「プログラミングの指導は外部の人材や教材を活用すればいい」という考え方もありますが、予算と人材をどう確保していくかという大きな課題は残されたままで、一部の学校では推進され、そうでない学校との差は今以上に広がると思います。
学習指導要領にがんじがらめにされた中で、学校独自の「カリキュラムマネジメント」がそこまでできるかどうか、そもそもそのスキル能力のある人材が学校現場にいない中で、あと2年でどうやって育成していくのか。
ちょっと考えただけでかなりの課題があります。

アクティブラーニングとは何か?

あと、アクティブラーニングとは「与えられた課題をこなす」ことではありません。
では、その課題を解決する方法はないのか?
簡単です。
子どもたちがICT機器と自由に遊べる時間を確保するだけです。
しかも、それも希望する子どもだけにして、他のことをやりたい子はやりたいことをする。
さらにいえば、プログラミング教育は学校に行かなくても可能です。
というか、時間やカリキュラムに縛られるのではなく自由に学ぶ環境があったほうがいいです。
たったこれだけでアクティブラーニングは成立します。
すべての児童生徒に同じ時間に同じことをさせているシステムは無理が生じるのは当たり前です。
学習することが楽しければ学習規律なんかいりません。
子どもたちは規律を守るために学校に行っているのではなく、学ぶために行っているのです。
児童生徒がアクティブに学ぶためには、教員もアクティブである必要があります。
やらされている作業をこなしていてもアクティブにはなりません。
しかたなしにやらされていてもちっとも楽しくありません。
「明日もまた学校に行きたい!」って思っている教員は何割いるでしょうか?
学校教育に求められるプログラミング教育の考え方(堀田 龍也)

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

大学入試に「記述式」を導入しても日本の学校ではホンモノが育たない

この方式が導入されたとして、まともに対応できる大学の教員は一体何人いるのでしょうか? 「アクティブラーニング」「問題解決型学習」とか取り上げられて、研究推進校まで指定されていますが、本質は何も変わって …

倉吉エンカレッジの会でアドラー「人生の意味の心理学」

今日は倉吉エンカレッジの会の2月の例会と勉強会に行ってきました。 アドラー心理学を学ぶ会なのですが、さまざまな人間関係の悩みに対応することのできる実践的な心理学です。 今日も、参加者のあるエピソードを …

魔法のプロジェクト2015 ~魔法の宿題~

「今回、法律に規定された合理的配慮は“障がい者を特別扱いすることが平等”という考え方。 必要かつ適切であれば特別扱いを認めよう、教育を受ける権利も認めよう、という価値観だ。 教育や入試でのICT利用が …

脱学校によって「不登校」という概念をなくすことができる

脱学校によって「不登校」という概念をなくすことができます。 学校がなくなっても、まったく困りません。学校がなくても「教育」「学び」は成立します。むしろ、人々は自分で考えるようになり主体的な学び方、生き …

あなたは「うるせえ、くそばばあ」と言われたらどんな言葉を返しますか?

あなたは「うるせえ、くそばばあ」と言われたらどんな言葉を返しますか? それを翻訳すると、どんな言葉を返したらいいか分かりますよね。 「くそばばあ」って、「すごい母ちゃん!」「すごい母ちゃん先生」ってい …

スポンサーリンク

スポンサーリンク
21世紀の松下村塾 教育相談無料