現在不登校の子どもの学校以外の場所として、公的な教育センター、子ども支援センター、民間のフリースクールがあります。
その多くは「学校復帰」を看板にしていますが、大切なことは一人ひとりのニーズに応じた対応です。
「学校復帰だけを目的としない」ことに意義があります。
なぜなら、学校に「帰る」かどうかは支援する側が決めることではなく、子ども本人が決めることだからです。
学校の教員や教育委員会が不登校を解決できない理由とは?にも書きましたが、そもそも「不登校の解決」を「学校復帰」だと考えていることが間違っています。
文科省も「学校復帰だけをゴールとしない」という通知を出していますが、学校現場では依然として「学校復帰のための指導」が続けられています。これは学校側が強制的に指導をしていると見る人もありますが、保護者の「我が子をなんとか学校に行かせたい」という願いに応えようとする対応だともいえます。
はたして「子ども本人」はどう思っているでしょうか?
「学校には行きたいと思うけど」
「もう学校には行きたくない、行かない」
「行きたいと思えるようになれば行くかも知れない」
と、さまざまな思いがあります。
だから、その対応の仕方もただ学校復帰というひとつの目的と方法だけではダメなんです。
教育の目指していることはなんでしょうか?
その原点に立って考えてみましょう。
それは学校に行くことですか?
学校で学ぶことも方法の「ひとつ」に過ぎません。つまり、学校だけが学びの場ではありません。今は学校の占める割合が大きくなりすぎた。学校に対する要求も多くなりすぎた。子どもの負担も教職員の負担も多くなりすぎています。
子どもにとっての世界は「ほぼ学校」しかない状態なのです。だから、学校に行かないと「社会的に排除された状態」になってしまいます。それをフォローするために支援センターやフリースクールなどがありますが、学校復帰のみを目的とすることで学校の占める割合は大きくは変わりません。
では、どうするのがいいのか?
「学校復帰だけを目的としない」
「学校以外の場所に行く子どもたちも学校に行く子どもたちも同じにする」
これを実現することです。
実はこのような場所を作っている町があります。
15年前からです。
「学校復帰のみにこだわらない社会的自立を目指す」
・学校に行けない子ども達の権利を守るのは町の義務
・不登校した子どもを主人公として考えた時、学校復帰という選択しかないのはおかしい
・ここにいればだいじょうぶ。自分の好きなことをすればいい。
・不登校して学べない、遊べない子ども達が安心していられる場所、学べる場所を作ってきたことが結果的には多様な学びを広げることになった。
表面的な学校復帰を目的としていない。
「学校復帰」だけを目的としないことに意義があります。
「学校復帰が目的の場所なので、フリースクールとは違います。」
「そもそも学校に行く気がないなら、ここには来れませんよ。」
ほとんどの適応指導教室はそういう対応ですね。
そもそも、「子どもを学校に行けるように適応する」のが目的の場所ですからね。
はじめからそんな言い方されたら、学校へ行かない子の学びを否定することになります。
もっと子どもに寄り添った対応はできないものでしょうかね。
鳥取県にある公的な適応指導教室も同様です
鳥取県にも公的な適応指導教室はありますが、結局は学校復帰が目的です。フリースクールができてからはそこも選択肢の中に入っています。
ですが、学校復帰という目的に合わせなくても、子どもたちが自分の思うように好きなように利用したらいいと思います。
現状では多くのことは期待できませんが、とりあえずそんな場であればいいです。
決して学校復帰を否定しているわけではありませんが、それも子ども本人が決めることです。
教育の目的は学校へ行かせることでも、学校へ行かせないことでもなく、自ら選んだ道を自ら歩んでいく力を育てることです。
その中の一つが学校であり、選択肢の一つに過ぎません。
二重の苦悩を抱えた子どもの学びの保障を
大切なことはどこで学ぶかではなく、何を学ぶか。誰が言ったかではなく、何を目指しているかです。
学校へ行くとか行かないとか、どうでもいいんです。大切なことは学びの原点です。どこでどう間違ったのか、大人も子どもも変な固定観念に縛られ過ぎなんです。
不登校対応として子どもに寄り添うとはいっても、学校も教育委員会も教育行政にとっては学校へ行かない子どもが増えることを良しとしていません。
しかし、実際に子どもたちがさまざまな形でメッセージを発している現状は無視はできません。
ちょうど今、ながの不登校を考える県民の会では「二重の苦悩を抱えた子ども」という表現をしておられます。
私も本当にそう思っています。
「不登校は問題ではない」
「不登校は選択肢のひとつである」
「不登校であることを周囲が責めることの方がおかしい」
この認識を広めていくだけでは不十分で、個に応じた学びの場を整えていく必要があります。
観念だけでなく、居場所の実現が求められています。
それが現在は公的には適応指導教室が担っていて、その目的を広げることによってもっと多くの子どもたちが集うことができると思います。それには空間の提供だけでなく、理解のある人的な確保も必要です。
そういう意味でも長野県や高根沢町、大田市の取り組みを全国に広げていくことが大切です。
今では小さな取り組みかもしれませんが、理解者はたくさんいますので、ネットワークを構築して、行政も含めた「本音」の対話集会をしたいと考えています。
鳥取県にもこんな場所を作りたい。
そう考えて、自宅を開放して自由な学びの場として21世紀の松下村塾を創りました。教育相談は無料でお受けしていますのでお問い合わせください。
「古民家で人間関係学ぶ」高根沢町教育委員会が運営する適応指導教室 ひよこの家
高根沢町適応指導教室『フリースペースひよこの家』物語