教育

「明日学校で待ってるよ」という行為が学校に行けない子どもを追い詰める

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昨日のトトロの会でも話題になっていました。
問題はこれが「善意」で行われていることです。
「学校に来られない子どもをみんなで励まそう」という『善意』がベースにある」ということが問題です。
担任も家庭訪問に来て「学校で待ってるよ」という「善意」の言葉かけをします。
しかし、その善意を疑わず、相手が求めていることからずれてしまえば、悪意にも等しくなっていきます。
「学校に来させることがこの子のため」という行為が悪意になるということを知ってください。
いよいよ明日から2学期です。
先生方へ、始業式前日に家庭訪問をして「明日学校で待ってるよ」という行為が、学校に行けない子どもがどんな気持ちになるか、よく考えてください。
また、これと同じような「善意」は親もしていることがあります。「学校に行くことが子どものため」という「善意」です。
もしかしたら親子で「2学期は学校に行く」という「約束」みたいなことをした家庭があるかもしれません。
でも、朝になって子どもさんが「やっぱり学校には行けない」と言ったり、それが言えないで布団から出てこないかもしれません。
そんなときは絶対に無理して学校に行かせないでください。「約束したでしょ」とは絶対に言ってはいけません。
学校に行くか行かないかは親が決めることではありません。それは子ども本人が決めることです。
だから、家でゆっくり休ませてあげてください。
家が安心できる場所にしてあげてください。
それが「今」親のできる最善のことです。
これもトトロの会で話したのですが、「学校に行かない」と言えたり、布団から出てこない子よりももっと心配な子があります。
それを言わないで、無理して学校に行っている子です。
「本当は学校には行きたくない。でも学校には行かなくてはいけない。」そう思って無理してがんばっている子が心配です。
このような子が学校に行くには相当なエネルギーを使います。相当なストレスを感じます。
だから、学校から帰って来たらかなり疲れます。
さらに、親に心配をかけまいとして、学校では何事もなかったように振る舞います。
でも、かなりの無理をしているので何かのサインを出しているはずです。
だから、2学期が始まって数日間は子どもさんの様子をよく観てください。
そして、何かに気づいたら「学校には無理して行かなくてもいいよ。」と言ってあげてください。
そんなことを言ったら、「もう子どもが学校に行かなくなるのではないか?」という心配をされるかもしれません。
だから「行かなくていいよ」とは言えない気持ちも分かります。
でも、それは親自身が安心したいからです。親の不安を減らそうとする行為です。
「子どものため」といいながら、それは親自身のためであり、決して子どもさんが望んでいることではありません。
その行為が益々子どもさんを追い込んでいくことだと知ってください。
子どもは親や教員が考えている以上に、学校のことも先生のことも親のことも考えています。そして「これからどうしよう?」と、必死になって探しています。
だから、「今は」家でゆっくり休ませてあげてください。
家が安心できる場所にしてあげてください。
何も考えなくていい。安心して家で過ごせる時間を作ってあげてください。
子どもさんを「無条件」で信じてあげてください。
そうしたら、子どもは自分で決めて動き始めます。

「義務教育」と「普通教育」について

「子どもの権利」と「国民の義務」と「国の責務」について、「義務教育」と「普通教育」について整理しておきます。
教育基本法では義務教育の場を「学校」に限定していません。
教育基本法では義務教育の場を学校に限定していないにも詳しく書いていますが、憲法26条の2項目の中に「普通教育を受けさせる義務がある」と書かれていますが、「親は学校に行かせなくてはいけない」とは言っていません。
また、教育基本法には「 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」としています。
つまり、普通教育の場とは、いわゆる政府の造った学校だけを限定しているわけではありません。
そして、「国及び地方公共団体は、”義務教育の機会を保障”し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、”その実施に責任を負う”。」とあります。
この中には、「子どもの健全育成や学習環境の整備など、子どもが安心して学べる場である」ことも含まれます。つまり、「国には子どもが安心して学べる『普通教育』を受けられる「場」を作る責任があるのです。
しかし、残念ながらすべての子が安心して学べる場がありません。学校は決して安全な場とは言えません。子どもの人権が侵害され、差別が発生し、健康を害し、命まで落としている子どもたちもいます。
このような実態がある中、国や自治体の「責任者」はそれを改善しようとしないばかりか、その事実さえ認めない、事実を隠そうという事例も全国各地の教育現場で起きています。
そのような学校に行かせることができますか?
話を戻します。
国は法律で、「学校」は「普通教育」の中のひとつであり、子どもは学校教育以外でも学べるという権利を憲法でしっかりと保障します」ということを明言しています。
さらに、文科省は「不登校は問題行動ではない」「不登校児童生徒の学校復帰がゴールではない」「学校教育以外の学びの場も認める」としています。
そして、「普通教育」を受けられる「場」として、公立私立のいわゆる「学校」だけでなく、自治体が運営する適応指導教室や支援センター、民間経営のフリースクールも存在すれば、ホームエデュケーションなど家庭を中心に学ぶ場も存在するわけです。
そして、子どもにはそれらの中からどこで何を学ぶかを選ぶ権利と自由があります。

行政機関の義務不履行が問題

行政機関の義務不履行が問題だと思います。
現実として、塾や通信教育では内申書も出席日数も補填できないという課題も残されたままです。
「行きたくても行けない」子への教育的配慮や教員の対応なども含めた学校環境の調整、整備を訴えていく必要があります。
親の被る義務履行の妨害について、法的な詳しいことはわかりませんが、「妨害行為が罰せられない」ことは事実として事例としてありますよね。
このようなことがある、見逃されているのは、「責任をとらされない」「罰せられない」のは、罰則の規定がないから、妨害している「加害者」が逃れられる法的な不十分さがあるからではないでしょうか。

「学校に来てね」「待ってるよ」ーー、学校に行かない、もしくは行けない子どもたちは、同級生などからもらう手紙や寄せ書きに複雑な思いを抱いています。「学校でつらいときは興味を示してくれなかったのに」「『行かなきゃ』というプレッシャーになってつらい」。ネガティブな気持ちを持ちつつも、その思いを飲み込んでいるのは、みんなの「善意」が見えるからこそ。葛藤と申し訳なさの中で、学校に行けない自分を責めている……不登校新聞と協力して行ったアンケートから、やりきれない気持ちが見えてきました。

「学校きてね」「待ってるよ」不登校の子ども葛藤する「お手紙」問題

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