教育

学校を変えようとする教員は「厄介者」なのか?

投稿日:

日本の学校は自己主張しないことがよしとされています。自己主張する者、目立つ者は叩かれる風土があります。
だから自己主張する者は「厄介者」として孤立し、黙って言われたことをこなす者が評価されます。
だから「改革」しようとする校長が現れると「特異な事例」として取り上げられます。
「改革」なんていう大げさなことではなく、目の前の子どものニーズに応えているだけのこと、子どもを主体とした学校経営をしているだけなのですが、それが特別なこととしてクローズアップされる。いかに子どもが置き去りにされているかということです。
自己主張しない教員の元では自己主張しない児童生徒が育ちます。
考えない教員の元では考えない児童生徒が育ちます。
自己主張し考える教員の元では自己主張し考える児童生徒が育ちます。
だからこれからも「出る杭」であり続けます。

学校改革を進めている校長や学校をメディアが紹介することが多くなってきた。その大胆な発想や取組に関心が集まり、講演や研修会も盛んだ。
 しかし、そのような場で講師が発する言葉、例えば「前提を疑え」「当たり前を見直せ」「前例にとらわれるな」「今まで通りに流されるな」「去年と同じは、後退のしるし」「不易と流行を考えて」などという言葉は、学校ではずっと言われ続けてきたことでもある。
 「今さらなぜ?」と思う改革派の校長や教育関係者も多いと思う。「そんなこと、言われなくてもずっと前からやっている」という校長もいるだろう。さらに、この流れの中で必ず言われるのは、「校長の裁量でできることは多いのに、なぜやらないのか?」という問いかけだ。

改革を進めるためには、目的と強い動機が必要だが、校長の「気付き」も欠かせない。
(住田昌治 横浜市立日枝小学校校長)
学校を変えようとする教員は「厄介者」なのか?
住田昌治 横浜市立日枝小学校校長

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

人生を切り拓く鍵は自分の手の中にある

いやあ、本を読むのってホント楽しいです!! あらためて読み直してみました。 自分の人生ですから、カッコよくてもカッコわるくてもいいんです。 みな、他人にどう見られているか、他人の評価で自分の価値を決め …

できもしないことを学校現場に押し付けるのが文科省のやり方

指導要領の改訂で、教員の資質・能力向上とかアクティブラーニングとか、できません。 不可能です! そのための予算も時間確保も人的な配置もないまま、学校現場に押し付けて終わり。 教育委員会は、文科省からの …

教研式NRT・CRT標準学力検査テスト対策のために授業時間をつぶすのは本末転倒

全国学力テスト 全国学力・学習状況調査は今すぐやめるべきだといいました。 ほとんどの公立小学校は受験とは無関係なのですが、それでもテストの結果を気にしています。鳥取県でも県独自の診断テスやNRTとかC …

「至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり」松陰先生の言葉

今日はまた新たな出会いがあり、松陰先生の言葉を確信しました。 「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」 「心を良い状態に保ち …

教師の個人の力量とソーシャルキャピタルで学力は伸びる

学力と教師間の同僚性との相関関係、とても興味深い結果です。 というか、当然の結果です。 ・最も算数の到達度が高いのは、人的資源(教師の個人の力量)とソーシャルキャピタル(教師間の同僚性)がともに高い場 …

スポンサーリンク

スポンサーリンク