教育

いい加減に学校信仰から目を覚ましたらどうですか

投稿日:2017年7月5日 更新日:


学校に行く行かないで評価するのは間違い。
行くのが良くて行かないのが悪いのでもなく、その反対でもない。
どっちだっていい。
大切なことは、「自分をどう生きるか」。
自分を生きるためにやりたいことをしたらいい。
学校ありきではなく、自分の学びが先。
学校が必要なら、そこを利用したらいいし、自分を生きるために必要ないなら行く必要はない。
学校は「行かないとどうなるか」という恐怖心のために無理矢理行くところではない。
高校卒業資格を取るにはいくらでも方法はあります。
通信にもいろいろな形があります。
でも、ただ行けばいいってもんではなく、大事なのは、「本人がどうしたいか」なのです。
資格を取る必要を感じたらとればいいです。
体力低下にしても、人間関係にしても無理にやろうとしては動きません。
しかし、本人がやりたいことなら、自分でやり始めます。
そうすれば体力もつくし人間関係も構築できます。
人間は、本来「自分がどうしたいか」という自己意思を持っているのですが、周囲の者たちがよってたかってそうさせないようにしているために、自由意志が決定できないで育ってしまっています。
これでは、自己肯定感も持てるはずがありません。
なので、親のできることは本人の自己決定を待つこととそのときに全力で応援することです。
応援とは、「がんばれ!」ということでなく、金銭的な援助(これを社会投資といいます)や環境調整です。
子どもが自己決定できるようになるためには、情報収集とできるだけ多くの人たちとつながりを作ることです。
そうするなかで、子どもは「自分がどうしたいか」という自己表現をするようになります。
学歴という鎧にしがみついている人間がどうなるか?
ああなるよ。
あの人たちみたいになるよ。
いい加減に学校信仰から目を覚ましたらどうですか。
学校へ行かなくていいと知って世界に色がついた

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

「学校行かなくてもいい」というイベント、それだけじゃダメ!

毎年9月1日の前にあちこちでやっている「学校行かなくてもいい」イベント、まあこれはこれでいいと思うけと、ブームで終わらせちゃダメ! 「学校がイヤなら行かなくてもいい」 「学校から逃げてもいい」 「学校 …

学校で身に付けさせなければいけないのはテストの成績ではなく「自律的に学ぶ力」

学校が再開した時に、また元通りの勉強のスタイルに戻ったのでは意味がありません。 学びの在り方をアップデートする機会にしなきゃ意味がありません。 「学校に行かなければ勉強できなくなる、〇〇できない」とい …

「子どもをいじめで死なせてはいけない」という大人の決意と実行力が問われている

長崎県新上五島町で2014年1月のいじめ自殺で、町教委は「いじめが自殺の原因とは断定できない」としていましたが、2年経過して第三者委員会が「いじめが自殺の主要な原因」と発表しました。 2年も経過してか …

「教育機会確保法案」立法チームヒアリング報告

「不登校」について、文科省や教育委員会は「学校に行かないことは問題である」という捉え方になっています。 だから、「学校に適応できるように指導する」という方針が重要視されています。 そこには、「学校に行 …

学校やその他の場所に行くのも行かないのも親ではなく子ども本人が決めること

「子どもをどこかへ行かせたい」 「なんとかして外出させたい」 「学校でなくてもいいから、フリースクールや適応指導教室に通ってほしい」 というのは、不登校の子どもを持つ多くの親の願いだと思います。 しか …

スポンサーリンク

スポンサーリンク
21世紀の松下村塾 教育相談無料