教育

みんな社会に溢れる「ひとつの正解」を求め、すべての子どもを「普通」にしようとしていないか

投稿日:2017年9月14日 更新日:


進学して、就職して、結婚して、出産して、子育てして、出世して。
これが生きるってこと?
これが人としての「正解」?
みんなみんなこの「ひとつの正解」を求め、たった一本の道を走りたくもないのに走らされている。
ちょっとでも「正解」から外れると、負け組だのがんばりが足りないのだの揶揄される。それが怖くて必死になってたった一本の道から外れないように毎日無理してがんばっている。
みんなが違って当たり前なのに、100人いれば100通りの価値観や生き方があるのが当たり前なのに、道はいくらでもあるのに、ひとつの正解を通ることに安心感を求めている。
「普通」に縛られ、学校は「平均点」「偏差値」で子どもを序列管理し、評価している日本の教育。
こんなまったく意味のないことに振り回されている親たち。
「自分らしさ」を大切にしてはいけない、これがこれまでの学校教育の「結果」なんです。
個を無視して集団として管理するために「普通」という意味のない基準を設けて人を差別、排除することが日本の教育の仕組みです。
だから当たり前のようにいじめが起こります。根本的な思想を変えない限りいじめをなくすことは不可能です。
「いじめが起こっても仕方がない」「でもばれたらまずいから隠蔽する」これが日本の教育なんです。
だから、子どもにも大人にもいろんなところで歪みが出てきている。
やりたくないのにやらされて、 走りたくもないのに走らされている。
それってあなたの人生なの?自分を生きるってことなの?
他人に合わせなくたっていいんだよ。
集団に入らなくてもいいんだよ。
無理して走らなくてもいいんだよ。
あなたの行く道はひとつじゃないんだよ。
あなたの行く道はあなたが決めたらいいんだよ。
それが「正解」、あなたが決めたことが「正解」。
だから、もっと自分中心でいいんだよ。
がんばらなくていいんだよ。
自分の道をゆっくりと寄り道しながら歩いていけばいいんだよ。
みんなと同じであることを「教え込まれる」学校教育を受けた者は課題意識が弱く、考えることをしなくなり、自己主張できません。自分の判断ではなく常に他者の顔色をうかがっています。
教員の授業研究会ですら自分の考えや意見を言えない教員が多いです。
いかにして逃げるかの方が優先しています。
これで自己表現のできる子どもを育てることなど不可能です。
その他の会合でも講師の話を聞くだけ、いや動員で会場に行くだけで完結し、そこからの議論はなし。本当につまらない。
いったい何のためにわざわざ集まっているのか意味が分からない。
これならわざわざ会場に行く必要はなく、高い金払って講師を呼ばなくてもネットで配信したらいいんですよ。
「みんな同じにしなければならない」という「同調圧力」、そしてそれを監視し合う人間関係。そのような環境の中からは信頼関係は作れません。お互いがお互いを監視する。しかもそのルールは理不尽なことばかり。
「普通」から一歩外れたら社会からは偏見の目、「普通じゃなきゃダメ」という社会的重圧、社会的脅迫の中で怯えながら生きている。
たった一本の決められた道をたったひとつのものさしで評価され、そこから外れると「普通じゃない」と非難される。
個を無視して集団として管理するために「普通」という意味のない基準を設けて人を差別、排除することが日本の教育の仕組みです。
だから当たり前のようにいじめが起こります。根本的な思想を変えない限りいじめをなくすことは不可能です。
「いじめが起こっても仕方がない」「でもばれたらまずいから隠蔽する」これが日本の教育なんです。
こんな社会が生きづらいのは当たり前です。
すべての子どもを「普通」にしようとしていませんか。パターンに当てはめようとしていませんか。ものを言わないことをよしとしていませんか。
それがすべての間違いのはじまりなんです。
まずはそれに気づくことからスタートする必要があります。
「みんな違っていい」といいながら「普通」に支配されて自分を生きていない
僕は、みんなと同じことをさせられる学校が大嫌いだった。
社会に溢れる「ひとつの正解」が、子どもたちを自殺に追い込む

『普通でいること』がどれだけ大変なことなのか

「発達障害」は医療的な「障害名」の診断があるので「障害」と表現していますが、「発達特性」といったほうがピンときます。
しかも、その特性がその人の全人格を決めているのではなく、ごく一部の状態を指しているだけで、プラスでもマイナスでもありません。
「障害者の○○さん」ではなく、「○○さんはこういう特性がある」というのが正しい表現です。
さらにその「障害」「特性」を「みんなとおなじように普通にする」必要はなく、治療して治るものでもないし治す必要もありません。
特性はそのままでいいし、その特性とうまくつきあって自分らしく過ごしていくことが一番大切です。
だから、障害者だからその仕事を当てはめたり支援学級に押し込んだりするのではなく、その人の特性を活かすためにこんな学び方やこんな仕事が向いているという環境作りが必要です。
他人と比べて優劣をつけて見るからマイナスイメージやプラスイメージを持ってしまうのですが、他人は他人、自分は自分なのですから、自分らしさを発揮できればそれでいいんですよ。
発達障害を治すことはできません。発達障害を治す必要もありません。
それはその子の「特性」だから。
「その子」は「その子」のままで変わる必要もありません。
でも、発達障害について理解することはできます。理解とは「発達障害」というレッテルを貼ることではありません。
日本の「特別支援教育」は排除と隔離の論理で進んでいる

「世間一般で言われる『普通でいること』が、障害特性のある子にとってどれだけ大変なのか。実際に学校に通わせてわかったことがたくさんあります」
発達障害のある児童が増える背景には、「早期発見」が加速化し、小学校の低学年までに診断されたり、何らかの支援を受けたりしている子どもが急速に増えているという側面がある。だが、学校の対応は追いついていない。
発達障害を抱える子どもたちは、小学校入学でまた壁にぶつかる。診断を受ける割合が増える一方、学校の支援態勢は不十分なケースも多い。教育現場、医療、親たちの手探りの状況が続いている。

東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍教授は言う。
「彼らのユニークな生き様や個性を認め、そのよさを殺さないこと。もっと柔軟な教育の選択肢をつくって、彼らに適した学習の機会を与えていくこと。本来はそういうところからイノベーションが生まれるんじゃないかな。発達障害の子たちを『普通にしよう』という発想を捨てないと」
正解はなく、空気など読まなくてオッケー。本気じゃなければ叱咤されるが、彼らが否定されることはない。子どもたちの作品は、一つとして同じものはない。

支援学級・学校へ押し出される発達障害の子たち

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