学校で児童生徒が殺される。
学校で教員も殺される。
にも関わらず「学校」というところは何も変わらない。何も変えようともしない。
「過労自殺で息子を失った父親の思い」
・給与の上乗せが4%から10%に上がっても残業は減らない。
・犠牲者を出さない職場環境や制度を早急につくり、自分で命を絶つ先生が1人でも減ってほしい。
・サポートの職員の配置や外部委託など、教員の時間外の労働を減らす取り組みを行い、教員が子どもたちと向き合う本来の業務を全うできるようにしてほしい。
・労働者の尊厳が守られるような責任ある業務管理をしてもらいたい。
・犠牲者を出さない職場環境や制度を早急につくってほしい。
どれもこれも当たり前のこと、正常な働き方だけど、この「当たり前のこと」ができないのが「学校」というところだ。
教員の人手不足や長時間勤務が課題となる中、文部科学省は給与のあり方や働き方改革についての本格的な議論を中教審(中央教育審議会)の特別部会で始めた。
来年春ごろまでに「一定の方向性を示したい」としているが、これこれまでに何度やってきた?
何百回論議した。
そして実現に向けてなんかやった?
いったいいつそれを示し実行するんだ?
なんもしてないじゃん!
なんもする気なんかないじゃん!
「議論してる」ってカッコだけで何もしてないじゃん!
学校で児童生徒が殺される。
学校で心身ともに病気になって自殺する教員も増えている。
行政は「教員の成り手がない」というが、成り手がないのは当たり前。こんな過酷な現場で奴隷のように働きたいとは思わない。
これができない学校職員の働き方は異常としかいえない。
こんな場ですることさせられることを「学習」とはいわない。教育などできるはずがない!
こんな「学校」に行かされる子どもは不幸だよ。
こんな「学校」で働かせられる教員も不幸だよ。
「学校」が変わらない、教育できない、学びの場ではないとしたら新しく必要な場を作るしかない。
本当に必要な人たちのために必要な場を。
「学校」が変わらない、教育できない、学びの場ではないとしたら新しく必要な場を作るしかない。
本当に必要な人たちのために必要な場を。