広島・中3自殺、誤った万引き記録に基づく進路指導を受けた後に自殺した問題。
この件も詳細を徹底的に追及していく必要がありますが、あまりにもひどすぎます。
これまでに、この中学校が子どもの人権と命を軽視しした結果招いた自殺です。
中学校がきちんとした対応をして防ごうとすれば十分に防げた生徒の死です。
この生徒は、4月からみんなといっしょに高校生になるはずでした。
一人の生徒が自殺して、教育長や校長が謝っている光景はもう二度と見たくないです。
これまでも、「指導死」によって何人もの子どもたちが”学校に殺されて”います。
学校の理不尽極まりない酷い対応や指導によって、多くの子どもたちが自らの命を絶っています。
この事実をもっと多くの人が知るべきです。そして、自分自身はなにができるのか考え行動すべきです。
一方では、高校進学がどれほど中学生を追い込んでいるかということを世の人々は認識すべきです。
「小学校の次は中学校、その次は高校進学、その次は大学・・・・とたった一本の道だけが生き方、そこから外れると人生が台無しになる」と思い込んでいること自体が間違いである、ということを認識すべきです。
あたりまえのように毎年受験シーズンがやってきて、「第一希望とか第二希望」とか「すべりどめ」とか「誰それはどこの高校に行った」とか、「○○さんとこは□□高校なんだって!」など、意識的に世間の高校のランクづけが行われています。
長い年月を通して、意識的に学校間の優劣を決めつけています。
学校間の優劣をつけることで、子どもにも「所属校」による優劣をつけている大人がいます。
学校の進路指導でも世間の中でも、当たり前のようにこのような学校間での差別を行っています。
自殺した生徒は私立高校を専願で受験したかったようですが、生徒指導記録の「ミス」によって校長の推薦がもらえなかった。
私立高校に一般入試で合格するのはかなり難しかったようで、このような世間の見方が背景にあって、この生徒は高校へ行けないことで自分の生きる意味がなくなったと思い込み、自殺に至ったのではないでしょうか。
学校での進路指導でたった一本の道しか示されないことによって子どもたちは追い込まれています。
学校の勉強だけでその子の人格まで決定するような評価のありかたは間違っています。
親たちも「みんなが通ってきた道だから」ここは耐えて頑張るしかないと思いこんでいます。
受験期をなんとか踏ん張って乗り越えることだけに価値を置いている人たちがほとんどの世の中なのです。
学校を差別の目で見る世間の見方、考え方も間違っています。
受験期間だけが進路決定の時期なのでもありません。
「みんなちがってみんないい」を評価するのは学校だけではなく、社会全体の評価でもあります。
学校も社会も「みんなとちがっったら都合が悪い」という考え方をしていることが、根本的な間違いなのです。
「みんなちがってみんないい」のですから、学校の選択肢もさまざまあるし、その生き方だって無限にあるのです。
限られた選択肢しかないと思い込んで自分を追い込んではいないでしょうか?
多くの人は、どこの学校に行っているか、どんな職業に就いているか、どんな立場に立っているのか、肩書きや所属によってその人物の評価をしています。
無意識のうちに、人の価値を勝手に決めつけて、そこに優劣をつけているのです。
自殺した生徒も「高校に行けなかったら、自分は劣っている」「高校に行かない自分はもう生きる価値がない」という考えもあったのではなかったでしょうか。
高校に進学するとかしないとか、どこの高校に行くとか、そんなことで人生が決まるわけはありません。
さらに、高校間で差別することは大きな間違いなのです。
その高校差別は依然として私たちの暮らしている社会に根付いています。
中学校の命の軽視が引き起こした事件なのですが、このような社会背景も大きく影響したことは間違いないです。
彼を追い込んだのは、このような学校制度や社会の間違った慣習によるといってもいいです。
今月は「自殺対策強化月間」です。
しかし、「強化月間」という考え方はおかしくないですか?
3月以外の月は強化しないんですか?
この間、「自殺総合対策会議」だとか「いのちを守る自殺対策”緊急”プラン」だとか重点的に「広報啓発活動」が行われていますが、これは自殺対策のほんの一部分、かけらにしかすぎません。
自殺総合対策は日常的に取り組むことであり、自殺の要因は社会そのものにあるのですから、「全ての人が生きやすい世の中」を作ることなのです。
自殺対策だけでなく「○○強化月間」としてさまざまな取り組みが行われていますが、そのほとんどは形骸化しています。
一時的なキャンペーンのためのキャンペーンに終わっています。
日常的に当たり前の取り組みが行われなければなりません。
今回の生徒の自殺についても、「子どもの命を守ろう」「いじめをなくそう」「差別をなくそう」という口だけのキャンペーンを行ってもなんの意味もありません。
ましてや、教育長や校長が謝っても何の解決にもなりません。
昨晩行われた緊急保護者会でも教委員会や校長からの十分な説明はなされなかったようです。
このようなことを二度と繰り返さないために私たちのできることがあります。
それは、子どもの教育を教委員会や学校任せにしないこと。
教委員会や学校はちゃんとした対応をしているか、一人ひとりを大切にした学習や生活指導をしているか、何よりも子どもたちが楽しい学校生活を送っているかということを保護者も地域の人たちも関心を持つこと。
日常的に教委員会や学校とつながりを持ち続け、意見があれば直接現場に届けること。
これは、事件が起こった広島だけの問題ではありません。
気高中の校内での自殺の件も解決したとはいえません。全てが闇に隠されたままです。
私たちの暮らしている地域に関心を持ち、自分のできる具体的な行動をしていかなければこのような事件は繰り返されます。
日々の暮らしの中で家庭や関係機関が本気で連携して、当事者が「助けて!」といえる支援体制作りと、どんな状況にあっても一人ひとりが希望をもって生きられる環境を作っていかなければなりません。
学校の酷い対応が自殺につながったことは間違いないです。
学校による偏った進路指導、そして社会の「学校信仰」も変えていく必要があります。
それには、私たち一人ひとりがこの問題の本質である「生き方」についての学びを深めていかなければなりません。
学びを深めるとは、社会のあらゆる場面に置いて「自分らしく生きる」ことを実践していくことです。
世間の間違った考え方、社会的障壁である「慣習」を変えていかなければ自殺はなくなりません。
しかし、私たちの世間体もその背景にあることを自覚する必要があります。
つまり、私たちにできることも山ほどあるということです。
広島・中3自殺 報告書で「学校の責任がある」と結論
広島・中3「誤った指導」での自殺を徹底的に追及していく必要があります
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執筆者:azbooks