教育

被害者が我慢しなければいけない学校も社会も間違っている

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被害者が我慢しなければいけない学校も社会も間違っています!
いじめを見てみぬふりをしている学校の教員も加害者です。
口だけで「いじめは許さない」といっている教員や教育委員会がいじめを許しているのですから、学校からいじめがなくなることは永遠にありません。
教育行政や学校内部だけでなくすことはできませんから、外部のものが徹底的にいじめの構造を破壊していく必要があります。
そのためには、日常的に学校の様子や生徒への対応についてしっかり見ていくこと、自らも協力していくことが大切です。
地域でそれに気づいた大人が行動していかなければ、被害者を産み続ける仕組みは改善できません。
私の周辺でも、加害者を擁護する学校の姿勢があります。
加害者の人権は守り、被害者の人権は無視して命まで奪われています。
私も悔しくてなりませんし、絶対に許せません!
いじめの加害者がなんのお咎めも受けないことが理不尽極まりないです。
いじめを放置している教育行政にも何の罰則もありません。
こんなおかしなことがまかり通っていて、口先だけで「いじめ撲滅キャンペーン」をやっています。
形だけのいじめ対策が長年続いていて、本気で解決しようとする大人がいません。
本気で解決したいと願っているのは当事者の保護者とごく一部の関係者のみで、全体から見れば少数派です。
教育行政という大きな組織から見れば、どうでもいいとしか考えていないように見えてしかたがないです。
いじめ加害者が得をする、被害者が不利益を被る構造自体を変えない限り、いじめはなくなりません。
そのためには、加害者もそれを許している教育行政も厳罰に処する制度を早急に作る必要があります。
学校内部では「常識」が通用していないという現実を多くの人たちに知ってほしいです。
その犠牲になっているのは、何の罪もない子どもたちです。
閉鎖された学校現場と形だけの教育行政の仕組みを変えていくには、おかしいと気づいた者が行動を起こしていかなくてはいけません。
その実態を知っていながら見てみぬふりをしている、諦めている大人たちにも責任があります。
とはいっても、学校の存在を否定しているのではありません。
学校だからこそもっているよさは評価し、あやまちを素直に認める、当たり前のことが当たり前になるようにしていくことが大切です。
学校だけで変えることは不可能ですから、地域住民がもっと学校内に立ち入って、協力できることを率先してやっていく必要があります。

万引きなどの非行歴が、高校の進学の推薦にひっかかるのなら、いじめの加害記録も入れていただきたい。いじめの加害者は何事もなかったかのように高校に進学していきます。いじめが原因で不登校になった被害生徒のほうばかり内申点が不利になるので、あまりにも不公平すぎるんです!

(内藤みかさんのツイッターより)

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