いろいろな会に参加したり、保護者の方と話をしていると、教育現場と保護者の考え方のズレを感じています。
そのズレを縮めるには両者が同じ場所で納得いくまで話し合いを続けるしかありません。
話し合いの目的は現状の改善です。
個々のニ-ズに対応するために具体的に何をするか決めていくことが必要です。
私も「学校に行かない」という選択もありだと思います。
どこの学校に行くか、学校に行かないかを決めるのは本人ですから、私も今の半強制的な学校制度には賛同してはいません。
すでに学校は子ども個々のニーズに対応できなくなっていますので、相当無理をして公教育が行われています。
その結果として、子どもたちは様々な形でメッセージを送っているのです。
子ども自身がどう思っているのか、どんな希望があるのか、そして大人がそれにどう応えていくのかが大事ですね。
ですから、その声に応えるためのひとつの方法として、学校以外の学びの場作りが絶対に必要です。
学校を変えるには文科省の改革も必要ですが、その実現には何年かかるか分かりません。
なので、学校が合わないのであれば現実としてはその子に応じた様々な場を作っていくしかないですね。
私も長く学校現場にいましたが、現場の教員と話し合っても「公教育」の改善は難しいと感じています。
教員も「仕組み」の中の一人ですから、本質的な改善はできません。
しかし、鳥取県の現状では多様な学びの場は存在していません。
さらに、個々の教員によって理解度も対応力も力量にも大きな差があり、学校間格差があることも問題で、話し合いすらできていないケースも少なくありません。
そこで、今できることのひとつとして、現状を少しでもよくしていくためには、既存の学校の理解と教員の対応力を改善していくしかないのです。
そのためには、関係者がが何度も何度も話しをすることによって学校環境を変えていく必要があります。
「障害」は社会的な障壁が作っていると思っています。
社会的な障壁がなくなれば、「障害者」は障害者ではなくなります。
学校現場でも障害によって困っている子どもの理解は不十分で、対応の仕方が分かっていないということも事実です。
そういう意味では保護者の方がよく勉強していて、理解もあり具体的な対応もできています。
「知識としての専門性」があるから、「資格」を持っているからといって、学校現場で適切な対応ができているとはいえません。
大事なことは、「目の前の子どもにどう具体的な関わりができるか」「そのためにどんなスキルを身につける必要があるか」という臨機応変な対応力です。
個々で努力をしている教員もいますが、教員としてというか、人としての障害者に対する理解も対応力も不十分です。
私も教員養成段階からの改善と現場での意味のある研修がもっともっと必要だと思います。
それと同時に社会的な理解をもっともっと進めていき、社会的障壁をなくしていかなければなりません。
まずは教員の対応の仕方を含めた環境改善が必要ですが、子どもは学校という限られた中で過ごすのではありません。
一人ひとりの自立に向けて、私たちは何ができるのか考え、いろいろな人たちと連携しながらできることを続けていくことが大事だと思っています。
本質的な改善は無理ですが、少しでも子どもが安心して過ごせる環境に近づけることはできます。
今日は「子どもを語る会」という教育、福祉関係者と保護者の集まりがあったのですが、ここでも行政の考え方と保護者の思いとの大きな開きを感じました。まだまだ保護者と学校を含めた教育行政との対話が不十分であることを痛感しました。
このような話し合うための場はあるのですが、それが形だけに終わっているのが残念でなりません。会のありかたを見直す必要もあります。
今日は県教委に対していくつか提案もしましたので、これからも経過を見ながら自分のできることをしていきます。
不登校対策としてまずは教員の対応の仕方を含めた環境改善が必要
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執筆者:azbooks