鳥取市教委作成の「教職員の障害者対応要領」これでは不十分だといいました。それは本質の理解が不十分であるからです。具体的な場面での個々の子どもへの対応はもちろん、教職員の配置なども含めた学校体制の見直しや学校環境の整備など課題は山積みなのですが、そこまで踏み込んだものではありません。
もしかしたら、教委や学校の責任回避のためなのでしょうか?
行政には不登校の責任はないの?
不登校の責任があるのは、子どもや保護者ではなく教育行政サイドです。
虐待やネグレクトなどの一部の理由を除いて、子どもや保護者には不登校の責任はありません。
子どもが行きたい学校がないのですから、行けないのは当たり前。それをきちんと整えるのが行政の責任、義務です。
それを「義務教育」といいます。
無理に学校へ行かせることが義務教育ではありません。
まずは、このような「正しい認識」から始めなければいけません。
今の学校では個々の子どものニーズに応えることは無理
学校へ戻すことだけを目的とした対応では個々の子どものニーズに応えることは無理だということははっきりしています。
さらに「障害があるからどうの、障害がないからどうの」という考え方でやっていることも問題です。
「障害に対する配慮」はもちろん必要ですが、大事なことは「個への対応」なんです。
一人ひとりの子どもが何に困っているのか、いつ、」だれが、どこで、どのように適切な配慮や具体的な対応をするのかが重要なんです。
学校復帰のための適応指導教室に「不適応」を起こしてしまう子どもも多いです。
これも、「子どもが適応できない」のではなく、適応指導教室の方が「子どもに適応できない」という理解をすべきです。
変える必要があるのは子どもではなく、学校や適応教室の方なのです。
学校へ戻すのではなく、学校を選べる環境作りを進めていくことが重要です。
学校へ戻すのであれば、子どもが学校に適応できるように「訓練」するのではなく、子どもが安心して過ごせるような学校環境にする必要があります。
「きゅうくつな箱」に入るように子どもを合わせるのではなく、子どもが安心して通学できる楽しい学校に変えていくという方針でなければなりません。
そもそも「不登校」という言葉自体が「学校にとって都合の悪いこと」という捉え方なので、そこから直していく必要があります。「学校へ行く自由」も「行かない自由」も「学校を選ぶ権利」も認められていますので、学校へ行かない子どもを否定するような言葉はもういらないのです。
「モンペ」については両者の関係性の問題です。
保護者からの意見や要望を願いと受け止めるかクレームと受け止めるかによって異なります。
このような言い訳をする教職員を信頼するはずがありません。
継続的な対話そすることでしか、信頼関係は作れません。
目の前に困った人がいたらどうしますか?
学校とはこういうものだから・・・
法律の規定がないから・・・
規則に明記されていないから・・・
権限がないから・・・
あなたの子どもだけ特別扱いはできないから・・・
もっと大変な(学校にとって手のかかる、都合の悪い)子どもがいるから・・・
と、目の前で溺れかかっている子どもがいるのに、いろいろと言い訳をいって何もしないでいるのと全く変わりません。
さらにその子が溺れていたのは「子どもの責任、見ていなかった保護者が悪い」となってしまうのです。
子どもの不注意で川に落ちたのかもしれませんし、保護者が目を離していたのかもしれません。
しかし、目の前で溺れている子どもをそのまま放置しますか?
目の前に困った人がいて、手を差し出す前に法律や権限が先に来るとは思いません。
その場で、そこにいる人が、そこでできることをするのは当たり前ではないですか!
規則や立場なんか関係なく、その場で何とかしようとしませんか?
【行政には不登校の責任はないの?】
9月の終わりから、リモートスクーリングを利用している子どもの保護者と、学校側との間に意思疎通が難しくなる局面があり、保護者側からの要請で、仲介役としてスクールソーシャルワーカーさんに入っていただくことになり、9月最後の週に保護者達との面談が行われました。
その間まで、子どもは県の支援施設の一つである「適応教室」へ、教育センターの勧めで通所していたのですが、場所見知り傾向のある子供には通所型施設は負担になったのか、その後徐々に体調を崩してしまいました。9月中旬より片手程度の回数通所しただけで疲れ果てて、しかも実働時間がどんどん短くなってしまう状況、と一歩進んで三方戻ったような感じになってしまいました。
十月の母児同時並行面接の際に、状態が思わしくないということから、しばらく適応教室はお休みすることに決まったようです。
学校側からは、不登校を解消するための積極的な働きかけらしきものもなく、何度か同級生から手紙をうけとったものの、子どもの方からは返事を書く気力さえないようで、当初の見込み以上に長引く不登校に、保護者の焦りが出てきています。
そんな中、教育センターの面接でちょっと信じられないような事実の指摘がありました。
保護者は以前から、学校の対応に不信感を抱いていました。教員とのやりとりの端々や、入学以来何度も「専門機関との連携を」と申し入れてきたのに全く対応がないことや、発達障害の特性を理解しているとは思えない対応の連続があったらからです。
1年以上に渡って続いた、なんとなく不信な対応の理由について、学校側は、「モンスターペアレントだから。」と回答したのだといいます。
なぜそのように判断したのか?その根拠は、「小学校から送られた申し送りの内容が間違って「健常児」になっていたことを知った保護者が、県立の発達障害者支援センターに相談して、相談員の指示に従って、正しい情報に訂正、合理的配慮を申し入れたから。」だというのです。
発達障害やら健常児と書くとピンときにくいでしょうが、「アレルギーのある子が、間違って「アレルギーなし」と連絡されてしまっていたのに気づいた保護者が、医師に相談したうえ「うちの子にはアレルギーがあります。」と中学校に申し入れ、「給食はアレルギー対応でお願いします。」といったら、ごくごく順当で常識的な話です。
これをモンスターペアレントだと判断して、アレルゲンを含んだものを食べさせてしまったら、大変な問題になるでしょう。
誤った申し送りをしてしまった方に過失があるのであり、親の申し入れは子どもの生命と健康を守るための、常識的反応です。場合によっては、過失を犯した人や部署から一言済みませんでした、くらいはあるかもしれません。
それなのに、ことが「発達障害」だと、例え医師の診断に基づいて臨床心理士や社会福祉士の指示で親が行った申し入れでも、モンスターペアレントとされて、聞き入れてもらえない。
子どもを守るため、繰り返しできる限り穏やかに「お願い」しても、放置されて対応してもらえない。
この繰り返しの結果、子どもは日々、傷ついたりストレスを貯めたうえ、最後の最後に、「教員から髪の毛を切られる」というショッキングな事件に遭って、急性ストレス障害で不登校になってしまいました。
その後も県の機関が対応に入るまで、学校側は保護者をモンスターペアレントとして対処し続けていたようです。
早期に解決を希望してきた保護者らは、法律的な責任はないのかを別の窓口へ相談しました。しかし、現在の法律では救済する方法がないと言われてしまったようです。
発達障害は脳のアレルギーのようなものです。アレルゲンが物質でないことが解り辛いものの、小児精神科医の診断によって継続支援を受けている子どもを、保護者にも黙って「健常児」として送り出してしまい、訂正さえ受け入れなかった学校、ひいては行政には何の責任もないのでしょうか。
教育センターは何とか調整できないかと、相当に苦労を重ねているようです。学校側の反応が思わしくなく、謝罪もありません。学校側のスタンスはあくまでも責任がない、という判断の一点張りになっています。