司法試験に4回失敗し、たまにアルバイトをするだけの怠惰な生活を送っている26歳の健太郎と4歳年上の姉でフリーライターの慶子が、実の祖父のことを知りたいということからストーリーがはじまる。
「祖父」の名は、宮部久蔵という。大正8年生まれで、昭和9年に海軍に入隊、昭和20年、カミカゼ特別攻撃隊の一員として南西諸島沖で戦死(享年26歳)ということしかわかっていない。
慶子と健太郎は、宮部久蔵を知る人物に会うため、本名はじめわずかな情報から、厚生労働省や戦友会へ問い合わせをし、祖父を知る人物から、「零戦」に関わった様々な戦争体験を聞かされる。
宮部久蔵と祖母の間に産まれたのが健太郎と慶子だが、現在の「おじいちゃん」は祖母と再婚した人である。
物語の終盤、思いも寄らなかった宮部久蔵と「おじいちゃん」との関係が明らかになっていく。
「零戦」がテーマとなって「永遠の0」というタイトルにも惹かれて読み始めたが、単なる戦争体験をフィクション化しただけでなく、現在置かれている日本の現実ともリンクしていると感じた。
戦時下と今の日本の社会構造の欠陥を見事に突いているといってもよいだろう。
その構造は、戦争中の日本も今の日本も変わらないのだと思った。
その中でも、部下に言った宮部久蔵少尉の言葉が力強い。
「一億玉砕」という大本営発表のもと、お国のために死ぬのが正義だ、勇気だと叩き込まれた”軍人”である久蔵少尉の言葉。
「絶対に死んではならない、生きて生きて日本に帰るのだ!」
しかし、「絶対に死んではならない」という久蔵自らが、最期には特攻を”志願”し、生ではなく死を選び、洋上で敵をも驚愕させる壮絶な死を遂げる。
そのとき、久蔵は「特攻死」を回避できる「運」も見つけていただが、その運を自ら断ち特攻機に搭乗し敵艦に突入したのだった。
久蔵の死は「運命」ではなく、自らが選んだ死であった。
実は、そこにこそ、この物語のもう一つのストーリーである久蔵と「おじいちゃん」との関係があったのだ。
今の日本は利己主義が蔓延し”平和ボケ”の国民を創出している一方で、政府は「国防軍」創設に向けての準備を着々と進めている。
また、戦争体験者が少なくなり、戦争そのものを隠蔽しようとする行動さえ見られはじめている。
そんな今の日本だからこそ、「永遠の0」の役目はあるのではないかと思う。
この物語はフィクションという形をとっているが、日本の歴史、日本人の生き方・考え方そのものであり、事実である。
ここに登場する久蔵をはじめとする人たちの生き方が多くのメッセージを伝えている。
今こそ、私たち一人ひとりに未来の国をどうしていくのかが問われているのである。
映画『永遠の0』12月21日(土)公開が待たれる。
http://www.eienno-zero.jp/
「永遠の0」(百田尚樹 著)を一気に読んだ
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執筆者:azbooks