教育

教員を悩ませる「教科化された道徳」で公平な教え方はこれしかない?

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道徳は大人の価値観を押し付けるものではありません。
児童生徒が「自主的」に考え、意見し、互いの意見を「聞き合う」ことそのものが目的です。
その前提として、道徳を扱う大人たちがが「自主的」に考え、意見し、互いの意見を「聞き合う」こと。
さらに、周囲にいる大人たちが子どもたちから憧れられる、尊敬できる存在であることが大切です。
いろんな考え方があり、いろんな生き方があるのだということを共有し、それを見聞きして自分はどう考え、どう行動するか。
それが学びなんだと思います。
道徳の「正解」があるとしたら、「自分の考えを持つ」「自分らしく生きる」そして「自他を尊重する」ということです。
児童生徒に「正解」を押し付けることが道徳ではありません。
上からの一方的な価値観を押し付けるような道徳、子どもたちの方が見切っていますね。
感想文の評価も「自分の感想が書けている」のであれば、みんなが金賞です。
これまでの「道徳」と「教科」になった大きな違いは「教科書を使う」ことと「教科としての評価」をするようになたことです。これまでは「道徳の時間」は「さわやか三組」などの教育テレビを見たり、教員が自作教材を作って指導することができましたが、担任の力量による指導力の差や「正式な教科」でなかったために、きちんと行われていなかったことも問題でした。
そこで、今年から1時間ごとに一律的な「道徳的価値観」を狙いとした教材が載っている教科書を使うことが義務付けられました。
一言でいえば、「教科化」によって強制力が強くなったということです。
しかし、 多くの道徳授業は「どうとくごっこ」で終わっています。
研究会も上の顔色をうかがった「ごっこ」です。そんな研究会はやらなくていいです。
教科書を読んで感想を書くだけと何も変わりません。いや、教員の一方的な話で終始するよりもそれだけのほうがまだましかもしれません。
見せるための授業は不要どころか、児童生徒にとっては迷惑、害にすらなります。
それなら、その時間を子どもたちといっしょに遊ぶ時間にしたほうがよっぽどいいと思います。
先生たちを悩ませる「教科化された道徳」公平な教え方はこれしかない

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