「いじめはどこでも起こりうる」のではありません!
いじめを生んでいる構造があるから必然的に起こっているのです。
いじめはどこでも起こりうるという、他人事に考えていることが大間違いです。
学校教育というシステム構造や学校での窮屈で管理された中での人間関係に問題があるからいじめは当然のごとく発生しているのです。いじめは子ども相互の問題ではなく、構造欠陥によって発生しているという強い認識が必要です。
それではじめて何をしなければならないかがハッキリします。
「いじめはどこでも起こりうる」「いじめは社会全体の問題だから社会が変わらないといけない」などの焦点をぼやかす考え方が「学校でいじめがあっても仕方がない」という意識になり、いじめの防止と解決を諦めてはいないでしょうか。
・子どもの変化に早く気づきSOSをキャッチする。
・学校がイヤなら行かなくてもいい。
・いじめられたら逃げる。
・学校以外の居場所をつくる。
など、現状ではこのような一時的な対処療法を取るしかありません。もちろん現実としてはこういった方法を取るしかありません。しかし、この対策そのものがいじめをなくせない根本理由です。
早急に学校という閉鎖的な隠蔽体質を改善すること
今の学校は子どもにとっても教員にとっても安心して居られる場ではありません。いじめの根本対策のためには学校という閉鎖的な隠蔽体質を改善しなければいけません。
学校の担任が「いじめを見て見ぬふり」校長が隠蔽をしなければならない理由
学校をもっと開かれた空間に変える必要がありますが、今のように管理され失敗が許されない学校では教員も子どもも「いい人」「いい子」を演じなければなりません。これはものすごいストレスとなります。ストレスを減らすためにはどうにかしてバランスをとらなければなりません。
ストレスを溜めない学校作りのためには学校制度、学校教育システムを変えなくてはなりません。
しかし、これは教員個々の努力でできることではありません。
しかし、学校制度の改革という大きな変化まではできなくても、学校業務の削減、研究指定校の廃止、テストによる競争をなくす、評価の見直し、学習内容の選択、学校行事やコンクールをやめるなど、個々の学校で取り組めることはたくさんあります。
現実には学習指導要領という縛りはありますが、今の学校現場ではそれ以上のことをやっています。そしてそれが学校間の競争を産み過度な指導につながっています。それが教員と子どもの大きな負担になっているのです。
いじめが起こると教育行政による謝罪会見が行われ毎度毎度「再発防止に努める」という、そのとき逃れの言葉が繰り返されています。報道では謝罪会見を何度も目にします。彼らは一体「再発防止」とは具体的に何をすることだと考えているのでしょうか?
「いじめをなくす」という個の事案解決を考えるのではなく、「学校を楽しくする」「学校を安心して過ごせる所にする」ことを目指していくべきです。
いじめ防止対策推進法条文を読んだことはありますか?
また、「いじめ防止対策推進法」にはたくさんの欠陥があります。学校制度の改革も必要です。学校業務の削減など教員の仕事の負担を減らす必要もあります。
大切なことはいじめの解決を諦めないこと、学校の教員が忙しいを諦めないこと、そのためにはたくさんの人たちとのつながりを作っていくこと、おかしいことはおかしいと言い続けていくこと、他人事ではなく、自分事として考えることではないでしょうか。
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