教員採用されてからわずか半年・・・
子どもたちがいじめを苦にして自殺する事件があとを絶ちません。
学校で辛い思いをしているのは子どもだけではありません。
誰にも何も相談できないで悩んでいる教員も多いです。
なぜ日本はいじめが多いのか? ちょっと違う個性的な子どもたちは排除の対象になる
お父さんは「精神的にも肉体的にも強い人間だった」といっておられますが、だからこそ熱心に責任を持って勤務していたと思います。
希望をもって教職に就いてやりたいことがいっぱいあったと思います。
自分がなんとかしなければいけない、誰にも助けてといえない、弱さを出してはいけないという思いが強くてすべて自分の責任として追い込まれていったのではないかと思います。
熱心な教員ほどすべてをやろうとしてしまいがち
新聞記事を読んだだけですが、嶋田さんの気持ちはすごくよく分かります。
子どもたちのために一生懸命に向き合っていこうと考えている責任感の強い教員も多いです。
熱心な教員ほどすべてをやろうとしてしまいがちです。
しかし、自分の信念と組織の向いている方向とのギャップに悩む教員も少なくありません。
子どもたちと関わることを目指して教員になったものの、実際の仕事の目的と組織の向いているベクトルの違いに悩んだり校務の量が子どもとの時間を減らしている中、自分の時間を削ってまで対応している者もいます。
私も以前と比べたら教員本来の仕事ができにくくなっていると感じています。
学校に行ったら子どもも教員も命を奪われる
公務災害と認定されたということですが、亡くなった命は帰ってきません。
子どもの自殺、教員の自殺、個々の理由はさまざまだと思います。
しかし、誰でもいい一人でも「助けて」といえる、弱さを出せる人がいたらと思うと悲しくてなりません。
生きる力を育む場が学校なのに、学校に行ったら子どもも教員も命を奪われる。
そんな学校なら行かなくたっていい、逃げたっていいんです。
身近な誰かに「助けて!」といってください。
無理しない。
疲れたら休む。
これが人間として生きるための最低限のことです。
それすら認められない働き方・生き方があるとしたら、それは人命軽視社会です。
人命を大切にして人権を尊重する社会を作るのは私たち一人ひとりです。
そのために必要なことは、勇気、仲間、やさしさです。
学校だけで全てに対応できるのではない
今は、クレームつける親も多いといわれますが、それを文句、クレームと受け止めるのか、改善や協力のお願いととらえるかによっても異なります。
基本的な人間関係、お互いの信頼関係ができているかどうかが大事です。
「学校がもっと頑張れ」とか「教員なら当たり前にできるはず」という思いはあると思います。
しかし、学校だけで全てに対応できるのではないことも分かってほしいです。
確かに教員の仕事としてやるべきことはきちんとしなければなりません。
中には、「これくらいできるだろう」と思っていることができていないこともありますし「なんでこんな対応しかできないの?」と感じられている方もありますので、それに対してはきちんと要求を出していく必要があります。
そして、「教員個々」ではなく「学校全体」として取り組んでいく必要があります。教職員間の協力関係は不可欠です。
実際の現場には、上からの命令による作業量が多すぎてそんな余裕すらないです。
多くの教員は日夜プライベートな時間を削ってこなしています。
教員に余裕がない。若い教員が育たない。子どもと関わる時間はもっとない。
自助努力でできることもまだまだありますが、限界に来ていますね。
各機関との連携については中身のある検証が必要
さらに、学校の弱い部分やできないことを補う必要もあります。
保護者、地域、各機関などの連携は昔から言われていますが、はたしてそれらが本当に有効に機能しているでしょうか?
「学校が悪い、家庭の育て方が悪い、地域が子どもに無関心・・・」と文句を言うだけではなにも解決しません。
それぞれが対立関係になっていては前には進めません。
では、何を具体的にどのようにしていけばいいのか考える必要があります。
各地で関係者の集まりは行われていますが、会議を開いて終わりになっていないか、それらが本当に次のステップにつながっているのか、構成メンバーはこれでいいのかなど、中身のある検証が必要です。
根本は「人」としてのつながりであり、素の関係性
みんながお互いに「素の自分」を出すことができたらいいのにと思っています。
いろんな肩書や立場という「重い重い鎧」をまとって自分を殺していたのでは、人と人とのつながりは作れません。
教員が権威を守るためにカッコつけたり、親が子どもの前では自分の悪さや弱さを認めなかったり、これらはすべて「鎧」をつけている姿を通じた関係性です。「鎧」をつけている人に信頼が持てますか?その鎧で信用できますか?
教室でも家庭でも、子どもたちは教員の権威を振りかぶった態度や親の支配しようとする雰囲気を感じ取っています。
もちろん、教育に厳しさは必要ですが、それは権威や権限を押しつけることでも自分の都合のいい子どもにするためのしつけであってはなりません。
根本は「人」としてのつながりであり、素の関係性なんです。
社会では「仕事の役割」としてそれそれが分担して行っているので、それはそれとして認めて付き合っていくのですが、本質的なところでは共有できることや共感できることはたくさんあります。
「仕事の役割」なので、絶対的な関係ではないんです。
そこをお互いが見つけていけば、みんながもっと楽になると思います。
「学校がどうの、親がどうの」ではなく「人として」お互いにどう関わっていくかを中心に置き、では学校で何ができるのか、家庭でできることは何か、と具体的なことを考えていけば、きっといい方法が見つかります。
誰も彼の思い受け止めることができなかったのが悔しくてなりません
嶋田さんは希望をもって教員になり、そこで無力感や絶望感を感じたに違いありません。
そこで、どこにも行き場がなくなってしまった。誰にも「弱さ」を伝えることができなかった。誰も彼の思い受け止めることができなかった。
私も同じようは思いをしたことがありますので、彼がどんなに悔しかっただろうと考えると本当に胸が痛みます。
ただ、そのときに、教職だけが生きる道ではないということに少しでも気づくことができたら、彼は死ななくてもすんでいたかもしれません。それを気づかせることのできる人との出会いがあったのなら・・・
これは、子どもたちにも他の職業でもいえることです。
「自分にはこれしなかい」と考えると道がなくなってしまいますが、「他にもあれもある、これもある」「いつ動き始めたっていいんだ」と考えることができたら選択肢は増えます。というか現実にたくさんあるのです。今はちょっと立ち止まってそれを見ようとするだけでいいんです。
人生は一本道ではありません。過去を振り返ったときには一筋の足跡が残りますが、未来へ続く道はたくさんあります。そして、そのどれを選ぶかは自分が決められます。いつ、どの道を選んだっていいんです。
私も教員を早期退職して、数ある道の中から今の働き方、生き方を選びました。これが一番「自分に合っている」と思ったからです。幸い恩人といえる人を含め、いろいろな人たちと出会う機会に恵まれ、今に至っています。
人生はいつでもやり直しができます。再スタートのチャンスは何回でもあります。「今」の自分が全てではありません。
今がピリオド、ゴールではなく、人生の通過点に過ぎないのです。
今の自分が100%ではなく、人生という道はこれからも続いていきます。これから自分で創っていくことができます。
人生のゴールで「自分の生き方は幸せだったなあ」と思えるように、「今」を大切にすること、「今」に絶望しないこと、決して諦めないことです。
ちょうど今、子どもたちの中には受験を目前に控えて進路選択に迷っている人もあると思います。
親御さんも、こどもの将来を見据えて心配されていることと思います。
しかし、今の進路が全てを決定するのではありません。それで人生が決まるなんてことはありません!
どんな結果になったとしても、その後の道もちゃんと続いています。
「できたかできなかった」で評価することもありません。
「自分はこうしたい、こうありたい」という願いは誰もが持っています。だからこそ悩みも出てくるんです。
大いに悩んで考えること。そうすれば必ず「自分の道」を見つけることができます。「自分に合った場」を見つけることができます。
明日へつながる道は、いつでも誰にでも見つけることができます。
学校を変えるには時間もかかるが決してできないことではない!
「くやしいけど、上が何も変わらなくては、学校は、変わらない。」
確かにそうなんですが、発信や行動を続けることによって、変えられます!
一気に大きな変化を求めるのは難しいですが、少しずつ少しずつ理解者を増やして変えていくしかないです。
私たちにできるのは、まず身近な人たちの声を聴くこと、その声を多くの人たちに届けること、身近な人たちを守ること。
できる人が手を結んで、諦めないで行動を続けていくことです。
こうやって続けていくこと、仲間を作っていくことで、社会も学校も変えられます。
その思いは次の世代の子どもたちにも確実につながっていきますよ。
私にも、そんな道探しのお手伝いがちょっとでもできるのであれば嬉しいです。
これ以上子どもも教員も死なせてはなりません!
このままだと本当に大切なものがどんどん奪われていきます。
そのために、これからも自分のできることを続けていきます。
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