鳥取県いじめ防止対策ガイドブック
「いじめられた側は傷つく」だから「いじめは悪いこと」
こんなこと、誰でもわかっています。
「いじめの本質」を分かっていないまま、いじめについて”理解した気でいる”人も多いです。
口で「いじめをなくそう」と言ったり、「いじめを許さない」という啓発ポスターを作ってもいじめはなくなりません。
それこそ、理解したつもりで形だけのいじめ撲滅運動をしているだけです。
やったつもり、形だけで、何の効力もありません。
しかし、いまだにそんな取り組みが続けられています。
こんなことでは、いじめは永久になくなることはありません。
子どもが子どもをいじめるだけでなく、教員が子どもをいじめる
学校では教員が教員をいじめる、職場でも上司が部下をいじめるパワハラも発生しています。
その構造はすべて同じです。
いじめの本質は、誰であってもどこであっても同じです。
「いじめる者が悪であると言っても何も解決しない」
「いじめた者より幸福になることが一番の報復」
「報復」ということばは適切ではないと思いますが、いじめをすることは自分(いじめる側)にとってなんのメリットもない。「いじめは損だ」という意識がなければ、いじめはなくなりません。
「いじめを許さない」というメッセージだけでなく、具体的に「いじめをしたら損だ」という行為、仕組みを作っていく必要があります。
「いじめを許す」構造を断ち切っていかなければいけません。
「いじめを許す」構造を断ち切るための具体的な方法は、隠蔽体質のある学校 わが子をいじめ自殺から守る方法にも書きました。
・倉吉こども未来フォーラムでいじめはなくせるのか疑問あり
・現行のいじめ防止対策推進法の何が問題なのか?
・鳥取県いじめ問題対策連絡協議会議事録を問う
・第4回倉吉市学校教育審議会 不登校といじめ問題に関する意見から
・教員が子どもをいじめの加害者であることに気づいていますか?
もう「いじめは悪いことキャンペーン」のような「初心者講座」からいいかげんに脱出すべきです。
こんなことでは、いじめについて「理解したつもり」になる人を増やすだけに終わります。
あまりにもひどすぎます!
学校名や校長名を公開してもいいと思いますよ。
どうしてこんな対処しかできなのか、何が目的なのか全く理解できません。
しかし、このような対処は決して他県のことだと考えてはいけません。身近なところで起こっている出来事です。
いじめ対策の集会は各地で行われてはいますが、関係者は他人事と考えているとしか感じられませんでした。
対策に一生懸命取り組んでいる者がいる一方で、教育委員会や学校現場でのいじめに対する認識が甘すぎると感じています。
いじめは学校での人間関係のもとで起こっているのです!
本気でいじめ問題を解決しようとしているのか?
いじめの本質を理解できているのか?
そもそも学校とはどういう場所なのか?
全く分かっていない、気づいていても見てみぬふり、いじめが発覚して子どもが自殺した後でも隠すことしか考えていません。
表面だけ謝って済むことではありません!
その後の対応をしっかりやっていく姿勢が問われているのです。
いじめ撲滅キャンペーンではいじめはなくせません!
鳥取県で「いじめゼロ」の撤回
鳥取県で2014年10月下旬、教育委員会がいじめ防止啓発用のクリアファイルに記載予定だった「いじめゼロ」のスローガンをみずから削除するという出来事があった。
記事(「「いじめゼロ」標語不適切で変更…鳥取」読売新聞)によると、削除の理由は、「教員らが件数ゼロを意識して報告をためらい、子どもへの適切なフォローを損なう可能性があるとの懸念が出たため」である。なるほど、「いじめゼロ」をスローガンに掲げると、「件数ゼロ」を目指すことになる。そうすると、教師がいじめのような事案を見つけたとしても、それを報告できなくなってしまうというのだ。
「いじめゼロ」がとりわけ公的な目標として強調されるとき、そうした事態はより起こりやすくなると考えられる。「ゼロ件を目指す」と行政や管理職から言われると、事例を見つけても報告しづらくなるのは容易に想像がつく。
「ゼロ」という数値目標は、いじめを減らすどころか、いじめを温存させてしまう可能性があるということです。
「いじめゼロ」宣言は、いじめを温存する――「虐待ゼロ」「体罰ゼロ」 教育の世界にあふれるゼロ信仰
子供の「いじめ」や「自殺」 小池一夫さんの考えに反響
いじめ解決のため、学校側に絶対させてはいけない3つのこと