教育

不登校の子どものための「居場所」っていう枠って、どうなのかな?

投稿日:2016年2月1日 更新日:


不登校の子どものための「居場所」というと、フリースペースだとかフリースクールとか。
ひきこもり支援というと、自立訓練とか就労訓練、ジョブトレーニングとか。
障害があるから障害者サポートだとか、機能回復訓練とか、障害者雇用とか。
未婚の男女向けの出会いの場の設置とか婚活パーティーとか。
歳をとったら、高齢者教室とか孫の育て方教室とか。
これって、どうなのかなといつも思っています。
「不登校だから、ひきこもりだから、障害があるから、何歳になったら」とかではなく、みんなにもっと広くいろいろな「行き場所」があるのがいいんです。
不登校の子どもは、学校に行けないからそこに行けばいいとか、ひきこもりの人が働くためにこうすべきだとか、障害者の「枠」の中での障害者雇用だとかということではなく、自分がそうしたいからそこに行く、自分がやってみたいからやる、という場を作っていくことが大事です。
人を「分別」して固定した「箱」に入れるのではなく、みんなが自由に行き来できる場所があれば、分別する必要はなくなります。
学校とか会社とか地域とか、特に日本人はどこかに所属していないと個の存在が認められません。
いろいろな会に参加したときに、「所属はどちらですか?」と聞かれることがありますが、いつも違和感を感じています。
「所属・・・なにそれ?」
「どこかに所属していないと会に参加できないの?意見は言えないの?」
そんなとき、私は、「倉吉のおじさんです。」「地域のおっさんです。」と答えています。
暮らしの中でいろいろな人がいろいろなことをやっている。
いろんな人がいろんな場所を作っている。
それが仕事であったり、趣味のサークルであったり、子育て中のママの集まりであったり、地域の集会であったり、技術取得のための研究会であったり。
それをやりたくなったらやってみたらいい。
そこに行きたくなったら行ってみたらいい。
誰か会いたい人が見つかったら、直接行って話してみたらいい。
その場所や人が自分にとって居心地がよければ、それが「居場所」になります。
自分の生き方は他人から強制されるものではありません。他人から都合のいいように「分別」されて行き場所ややることを押し付けられることほど嫌なことはありません。
でも、多くの人は決められた場所で強制されたことを必死に無理して頑張っています。
「世の中こんなもんだよ。みんなそうなんだから。」
という人もいますが、ホントにそうでしょうか?
やりたい人がやりたいことをする。
それでいいんだと思います。
そのために勉強が必要なら勉強すればいい。
資格が必要なら取得するために努力すればいい。
行きたい場所があるのなら、どうにかして行けばいい。
お金が欲しいなら、お金を稼ぐ方法を考えてやってみればいい。
学校に行っているとか行っていないとか
働いているとかいないとか
大企業だとか中小企業だとか個人事業だとか
障害があるとかないかとか
社会的な立場が上だとか下だとか
子どもだからとか年寄りだからとか
男だからとか女だからとか
そんなのどうでもいいことなんです。
すべては自分からはじまっているのですから、自分で決めて自分でやっていけばいいだけのことなんです。
そのためには、ルールを守ること、努力すること、自分で責任をとること。
障壁があるのであれば、それを超えるためにできることを考え、行動を起こすこと。
一人でやるのが無理なら誰かに助けを求めたらいい。
でも、他人から与えられるのを待っていたのでは、何も変わりません。人はいろいろと定義や形でものごとを説明しようとするのですが、やりたいからやっているだけのことなんです。
それに気づいたら、もっとラクな生き方ができると思うんだけどなあ。
高齢者の居場所はいろいろなところがあるけど、子どもには学校しかないんだなあ。
高齢者福祉はお金が儲かるし選挙で票が入るけど、子どもの教育ではお金儲からないし、子どもには選挙権がないから?

ところで、仮面ライダーって、どうやったらなれるんですか?

どこの学校に行ったらいいんですか?
大学を卒業しないといけませんか?
勉強をしないといけませんか?
何か資格は必要なんですか?
性格検査や体力テストなんかもあるんですか?
ケンカは強いほうがいいですか?
どんなトレーニングをしたらいいですか?
クルマやバイクの免許がいりますか?
英語が話せないとダメですか?
変身ベルトはどこで売っているんですか、いくらくらいしますか、高いんですか?
知っている人がいたら教えてください。
ボクは変身のしかたを知ってるけどね。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-教育

執筆者:

関連記事

「教育手法」ばかりを主張する日本の「公」教育の役割を考える

日本では「教育手法」ばかり述べられるが、「階級社会」の事実が認識されていない。 「教育方法」に関する本は、これまで何度も何度も出版されてきた。 最近、子供3人を灘高から東大理Ⅲに合格“させた”母親の子 …

「ジェンダーレス」に対応した学校の制服ってなんなん?どんだけ~!

そもそも「ジェンダーレス」ってなんなん? 男子も女子の恰好をしていい? 女子も男子の恰好をしていい? ネクタイ?リボン? 右前?左前って? 学生服ではなくブレザーって? そもそも身につけるものを指定す …

三重県松阪市立三雲中学校 全生徒にiPad 公立中の授業力

公立中で全生徒にiPadというのはすごいと思います。 しかし、大事なことは「はじめにiPadありき」で授業をするのではなく、学習の理解のために有効なツールの一つがiPadであるという取り扱いです。 黒 …

1月6日「倉吉市立小・中学校の適正配置」倉吉市民シンポジウム

倉吉市のHPの業務予定には18:00~、市報には午後7時~って書いてあるけど、ホントはどっちですか? 今、「子どものため」という学校統廃合・学校再編が進んでいます。 教育委員会は、なんだかんだと「子ど …

「助けて」って子どもに「教える」んじゃなくて、大人がやったらいい

知らないことは「知りません」「知らないので教えて」 わからないことは「わかりません」「やり方を教えて」「わからないから勉強します」 できないことは「できません」「できる人は代わりにやって」「できるよう …

スポンサーリンク

スポンサーリンク
21世紀の松下村塾 教育相談無料