暮らし

所属先や肩書きが知らず知らずのうちに人の意識の中に入り込んでいるおかしさ

投稿日:2017年11月20日 更新日:

子どもの作品の展覧会やコンクールでは、作品には「鳥取市」「米子市」ではなく「○○小学校」「○○中学校」で、「金賞」「銀賞」ではなく「知事賞」「教育長賞」になっています。
学校の代表として出展しているのならわかるけど、個人出展なら学校名は必要ないし、肩書き入りの賞っておかしくないですか?
このようにして所属先や肩書きが知らず知らずのうちに人の意識の中に入り込んでいるのです。
しかも、「知事」「教育長」というのはただの役割分担なのに、序列をつけて。

学校で作った作品を学校経由で応募する場合はそれでいいと思いますが、個人で応募しているなら学校名は必要ないと思います。
県の主催であっても役職名が賞の名前になるのはおかしいと思います。役職など付けなくても例えば「児童生徒○○賞」でいいです。
「天皇杯」「皇后杯」というのもありますが、「○○大会優勝杯」でいいと思います。
これがどこかの会社がスポンサーとなっての主催であればメーカーや商品名が賞の名前になるのはいいと思います。
キリンカップとかYBCルヴァンカップとか。

肩書や立場など、どうでもいいことで人を見ているおかしさ


初対面の人には名刺を2枚渡すのですが、受け取った相手の人から「なにをしている人ですか?」とよく聞かれます。
名刺には「何をしているか」詳しく書いているのですが、たいてい聞かれます。
そこで、「元小学校の教員でした。」と伝えると「ああ、そうですか」と納得されます。
じゃあ、なんのために名刺を渡したの?
どこを見て私のことを判断しているのでしょうか。
人って、肩書や立場など、どうでもいいことで人を見ているんだなあって思います。
そんなものどうでもいいのに。
いかに既成概念に縛られているのかと思いますね。
人の存在がどこかに所属して職場と肩書きがあることが前提になっています。
ほんと、どーでもいいです。
「ボクはこんなことやってますよ。」ってちゃんと名刺に書いてあるのに、そっちを見てないんだなあ!
ボクはボクなんですよ。
ボクの中にはいろんなボクがいるんです。
「今のボク」を見てほしいと思います。
こんなところから、個人を見るのではなく、その前提として所属先や肩書きが刷り込まれているということを言いたかったのです。
このブログの投稿を読んでもらったら私がどんなことを考えて、どんなことをやっているのか伝わるかなと思っています。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

-暮らし

執筆者:

関連記事

現在の日本の学校のようなスタイル、学校制度にはもう存在意義はない

子どもには好きなことをやる権利がある。 子どもには学ぶ権利がある。 子どもには学ぶ自由がある 興味関心のあることを知る、学ぶ権利がある。 自分の好きなことを、好きなところで安心できる環境の中で学ぶ自由 …

自立とは、助けを求める依存先をたくさん見つけることです

「自立」とは、たくさんの「依存先」を見つけること。他者に「依存」して生きること。 「自立」とは、「助けて!」って言える人とつながること。 ルフィ  「俺は剣術も使えねェんだコノヤロー  航海術も持って …

鳥取県がヘルプマークを2月1日から無料配布、外見では分かりにくい障害に理解を

今日の日本海新聞にも記事が載っていました。 鳥取県でも「ヘルプマーク」の配布が2月1日より始まります。 「この人ヘルプマークをつけてるけど、どんな手助けをしたらいいの?」という人も多いと思います。 ス …

「できませんでした」が「頑張ります」に変わってきています

分からないから知りたくなるし、できないからできると楽しいんです。 もしも、できることばかりであったら人生はつまらないと思いますよ。 私は、疑問や分からないことなどの課題を見つけたらとてもワクワクします …

コロナで自粛などしないで普通に生活を送ればいい

終息には“集団免疫”しかない! これが、コロナ発生当初から言われていた医学的判断でした。 「ウイルスを完全に排除することなど不可能だ。ウイルスと共存し、利用することで免疫を強化し、健康維持に役立ててい …

スポンサーリンク

スポンサーリンク
21世紀の松下村塾 教育相談無料