発達障害のある人の「行動の理由」がわかれば、関わり方が変わります。
発達障害の凹凸によって困り感を抱えている人も多いのですが、障害は強みにもなります。障害は「武器」にもなります。
凹凸の幅が大きいために強みになることもあるのですが、弱みになっていることの差が激しいのです。
発達障害者は、二次障害(二次症状)としていろいろな名のつく病気で「煩わされる」ことが少なくありません。これは本人のせいではなく、その多くは社会的な無理解と不適切な対応、彼らの「らしさ」を発揮できる環境が少ないことが要因です。
彼らの最も共通しているのは、障害のマイナス面ばかりに目が行って「自己肯定感」が持てなくなっていること。
しかし、発達障害のある彼らが間違っているのではなくて、置かれている環境の中で適応障がいを起こしているだけのことなんです。本質的には間違っているのではなくて、彼らの持っているある種の特性、特質なんだということの理解が進めばそれは「障害」とはいえなくなります。二次障害(二次症状)も防ぐことができます。
このように、まずは視点を変えてみること、受け止め方を変えることが大切です。
障害は武器にもなる 決して卑屈になる必要なんてない
「障害は武器にもなる」と言いました。発達障害の人は本来「パターン化」というものが得意です。自分自身を俯瞰し、自分が何者なのかを考える力が普通の人より強いです。
もちろん、皆が同じではなく個々によって個人差がありますが、直感力とパターン化する能力が高く、とことん観察して相関を見つけ出す能力に長けています。直観力とパターン認識能力を持ち、最も力強く世の中をサバイブしていけるのが発達障害者だということなので、決して卑屈になる必要なんてないのです。
学歴とか立場だとか肩書きだとか、所属先だとか、見た目の印象だとか、個々の能力や人格とはかけ離れた評価基準で判定されてしまう狭い狭い日本という現代社会の中で、たまたま適応障害を起こしているだけだと考えたらいいのです。
というか実は、適応障害を起こしているのは「社会の側」なのですが。
いわゆる今の日本社会で「学力」と言われているのは、ごくごく狭い範囲での測定結果に過ぎません。他者との協調性やコミュニケーション力、忍耐力、協力性などの平均的な能力を数値化したものの一つがが偏差値という「ものさし」です。
それが「普通の人たち」の生きる術になっている。というか、それにすがらないと生きていけないのが「普通の人たち」です。自己の特性で生きるのではなく、他者の評価によって生かされているといってもいいです。
彼らがデータベース的な能力、記憶力とか受験能力のようなものを進化させたのに対して、発達障害のある人は個々の能力、優れた強みである「武器」を進化させてきたともいえるのです。
作家・市川拓司さんインタビュー【前編】
「現代のような不確実な時代に、最もたくましく生きていく力を持っているのが、ぼくたち発達障害者のはずだから。」