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「障害」でも「特性」でも「個性」でもなく、個々の持っている「資質」なんだよ

投稿日:2022年5月23日 更新日:

「障害」ではなく「特性」。
いや「特性」でも「個性」でもなく「資質」。
「資質」とは「無限の可能性」。
資質はすべての人が生まれながらに持っている。
それを活かすのは誰でもなく自分自身。
活かせたかどうか決めるのも自分自身。
いや、活かせたかどうかてはなく、資質がある、存在するだけで意味がある。価値がある。
それは「障害」でもなく「特性」でもなく誰もが持っている「資質」。

だから、それを評価することにはなんの意味もありません。
ましてやそれを比べるなんて愚かなことです。
よってたかって子どもの「特性」をつぶして自己肯定感を下げている親、学校、専門家、医者。
大人にとって都合が悪いことは「わがまま」「甘え」「怠け」と捉えられる。
親、学校、専門家、医者は子どもたちにとってどういう存在なのか?
今一度しっかり考えてみる必要があると思う。

それを「障害」と呼ぶ理由はなんのため?何が目的なのか

親はわが子が「普通」の子と同じようになることを望み、学校では「普通に治す」指導を行う。
みんなが違うことが当たり前。なのにそこに「差」をつけて枠の中に閉じ込めようとして管理する。
そのために「発達障害」というレッテルを貼る。そして、親や教員のいうことを聞かない、子どもが落ち着かないから投薬によって治療って?
どう考えてもおかしいでしょ

教室に入るのが嫌だったり、授業中に歩き回ったり、テストをやりたくないのは、子どもの側の理由ではなく、教室環境や授業内容や教え方、テストの受けさせ方に問題があるのです。
だから、教室環境や授業の進め方、学習のしかた、テストの内容や受け方を工夫すれば、子どもは「落ち着いて」楽しく勉強します。
ましてや投薬などもってのほかです!
教員の中にも服用を安心材料にしている者もいるのも事実です。
しかし、こんな薬を強制的に枠の中に閉じ込めるために子どもに服用させるのですか?
教員にとって「扱いにくい児童生徒」だという理由で。
だけど、問題なのは学校環境の不備や教員の不適切な対応です。
それを「薬で」というのはあまりにも酷すぎると思います。
なんの医療的根拠もない、エビデンスもない中で「麻薬及び向精神薬取締法の対象となる」薬を安易に飲ませるのですか?
私は薬の服用には絶対反対です!

発達障害は「治療する」のではなく、不適切な環境や間違った対応による「二次障害」を防ぐために、学校の環境や対応を変えることの方が優先すべきことです。
学校環境を子どもが安心できない、落ち着いて学習ができないままの状態で放置して、投薬によって一時しのぎをするなんて、あってはならないことです!
その安全性が確立されていないクスリを、安易に子どもに飲ませられますか?

我慢して、無理やり教室で授業を受けさせるために薬を飲ませるんですか?

「発達障害児」として処理して、排除や隔離しているのは学校や教員の都合じゃないですか!
大切なことは診断名の判定でも投薬でもなく、困ったことに対する具体的な対応です。
これは障害があるからないからに関わらず、重要なのは子どもを理解しようとする姿勢です。診断名に振り回されないで、その子本人を見て具体的にどんな環境調整やどんな対応が必要なのか個別に考えていくことです。

「障害」は本人にあるのではなく、社会の側にあります。
だから社会的障壁の除去によって、「障害」が「障害」でなくなるのです。
私は制度や環境整備はもちろんのこと、世間の差別的な見方や偏見、間違った慣習などの「社会的障壁の除去」の方が大変重要なことになると考えています。
個人にべっとりこびりついた偏見を取り除くことが重要です。

発達障害の根本治療はできない、薬は百害あって一利なし

合理的配慮を要請するときに誰にどこにどのように伝えていったらいいの?

発達障害を「理解する」とはどういうことなのか?
今の日本の「特別支援教育」は排除と隔離の論理で進んでいると思います。
そして、その目標はすべての子どもを「普通に治す」こと、「平均値にする」こと。そもそもこの考え方が間違いです。ものすごく差別感があります。

日本の「特別支援教育」は排除と隔離の論理で進んでいる

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