学校に行く行かないは選択肢です。
どっちが正しくて、どっちが正しくないかではありません。
まずはこの認識が重要です。
学校ありきではなく、自分のやりたいことが先にあります。そのために学校が必要なら行ったらいいんです。
必要ないなら行く必要はありません。
行きたくなければ行かなくてもいいんです。
やりたいことがないから「とりあえず行っとくか」もありです。
「何となく行きたくないから行かない」もありです。学校に行っても行かなくても、15才の3月が来たら自動的に義務教育は卒業になります。
その次にどうするかも自分で決めたらいいです。
仕事だっておんなじです。
どんな仕事をするかは自分で決められます。
そのために資格が必要なら勉強しないといけません。資格を取るために学校に行くのも方法のひとつです。でも学校に行かなくても勉強はできます。資格がなくてもできる仕事もあります。自分で経験を積んで技術を身につけることだってできます。
学校には行かなくてもいいし、仕事を選ぶのも自由です。でも、やりたい仕事をするために必要なことがあるならそれをしなくてはいけません。
つまり、何をするか、どこに行くかはすべて自分で決めることができるということです。そして、その方法はひとつではなくいろいろあります。
あとは、それを実行するかしないかで決まります。
そういうことです。
小幡くんが10月に米子に来た時に話をしたのですが、人と話をすることが大好きっていう若者です。
学校には約10年行っていなくて定時制高校に進み、そこで出会った人がきっかけとなって今の自分を決めたといいます。
彼がみんなと同じように学校に行っていたらその出会いはなかっただろうと思います。
だから学校がすべてではなく、どこでどんな出会いがあるか分からないしいろんな道があるってことですよ。
周りに素敵な大人がいたら子どもも「自分もあんな大人になりたい!」と思います。
つまらない大人がいたら、「大人になんかなりたくない」と思います。
夢は何才になっても持っていいし、諦めなければ何才になっても叶えることができます。
それは他人が決めるものではなく、自分自身が決めることです。
だから、自分自身が楽しく生き生きと生きることが一番です。
少なくとも子どもの夢を否定したり未来をつぶすような大人にはなりたくないですね。
少なくとも子どもの才能をつぶすのだけはやめてくれ!
そのために必要なことは子どもを同じ「ものさし」で評価して意味のない競争をやめること。
学校は教えることをやめること。
ボクは「ボク」なんだから他人と比べることはまったくナンセンスなんだよ。
あと、「登校」という表現は間違いです。これは支配者から支配されている言葉で、正しくは「通学」「通園」といいます。
「登校していることが正しい」のか? 不登校経験者らが義務教育の在り方を問う