文科省が「学校はICTを活用して児童生徒に家庭学習をさせなさい」というので、「学校が臨時休業中であっても最低限取り組むべき事項として、ICTの最大限の活用、児童生徒の学習状況や健康状態の把握などを求めている」ために、自治体や学校でオンライン授業競争が加速しています。こぞって授業動画を配信し始めていますが、そんなことは無理してしなくていいと思います。
この度の休校によって「家の中に学校の教室を作る」動きが加速しています。学校と家とをオンラインでつなぐ取り組みで家を「教室」にしようとしています。
オンライン学習の推進を否定はしませんが、その出来、不出来が比較され、それによってが学力格差をますます広げることになります。
第二、第三の学校や教室を作るだけでは多様な学び方は広がりません。
このままやっていると休校期間中に「勉強嫌いの子」が大量生産されると思います。
次の(1)に示す ICT 等も活用した家庭学習と,(2)及び(3)に示す教師による対面での学習指導や学習状況の把握の組合せにより,児童生徒の学習を支援するための必要な措置を講じること。
(1)家庭学習について
臨時休業期間中に児童生徒が授業を十分に受けることができないことによって,学習に著しい遅れが生じることのないよう,学校や児童生徒の実態等に応じ,可能な限り,紙の教材やテレビ放送等を活用した学習,オンライン教材等を活用した学習,同時双方向型のオンライン指導を通じた学習などの適切な家庭学習を課す等,必要な措置を講じること。
新型コロナウイルス感染症に対応した臨時休業の実施に関するガイドライン(令和2年4月17日改訂版)
本来の学校の役割を見つめ直す時期
千葉大学教育学部教授 藤川大祐さん
「学習の内容によっては、オンラインのコンテンツを見てやるほうが効率がいい反面、表現力を身につけるための授業はコンテンツを見て学ぶことはできない。環境が整うのを待つよりは、できることからすぐに始めることが何よりも大事。そのあと、こぼれた人をどう救うかを考えて埋めていかないといけない」
教育評論家の親野智可等さん
「日本でICT活用が遅れている理由は3つある。1つ目は、GDPに占める教育費の割合がOECDの中で最下位で、政府の教育へのビジョンがないこと。2つ目は、これまでは、先生の多くが教室で話し合いをしながら進めていく授業がいいと考えていたこと。3つ目は、インターネットは危険なものと捉え、子どもに使わせたくないと考えている保護者が多くいること。他国はつまずきながらもオンライン授業を導入しているのは立派で、日本もいまが非常時であることを理解して動かないとだめ。天変地異があっても子どもの学習権を保障する必要がある」
「教室型オールインワン授業」から離れよう
これまで学校では「自分で課題を見つけ、自分で解決していく」という学び方をしていません。受け身の勉強の仕方しか知りません。だから、子どもたちは与えられた宿題をひたすらこなさなければなりません。学校が再開したらその宿題を出さなければなりません。さらに、学校から配布している学習課題の成果を1学期の学習評価にも反映する学校もあるようです。これを主体的な学びとは到底思えません。
それなら、子どもたちが主体的に学ぶためには教員はどんな課題の与え方をしたらいいか?子どもたちの学ぶ意欲を高めるためにはどうしたらいいか?
今これを考えて宿題を出したりオンライン授業をしているでしょうか?
まずは、教員の考え方が変わらないとダメだと思います。「オンライン上の教室」を作り、児童生徒をPCの前に座らせて一斉授業を配信するという「教室型オールインワン授業」スタイルをやるようではいけません。
学校だけでなく、保護者も、オンライン学習とはパソコンの前に子どもがおとなしく座って授業を受けるスタイルを考えているかもしれませんが、そのような受動的なスタイルでは能動的、主体的な学びにはなりません。
私もいくつかの動画や教材を見てみましたか、はっきりいってつまらない。一斉授業がオンラインで流れてくるだけで、1分するとたいぎくなる。眠たくなる。そこに、面白さや楽しさは感じられないから続けようとする意欲は出て来ない。
結局、「勉強はたいぎい、つまんない」というのが子どもの感想になると思います。
アフターコロナの学校は受け身の子どもを作る元に戻す必要はありません。子どもが主体的に学ぶ学校にしていかなくてはいけません。
例えば、オンラインで配信する動画は児童生徒の興味、関心を引くような3分程度の学習への動機付け、導入だけにして、あとは一人ひとりが課題にとりくむ、そして、教員はそれをチェックしフィードバックするのがいいです。
45分間、一日中、子どもが興味、関心を持つような授業動画を作ることができたらそれに越したことはありませんが、それでも受け身の勉強にしかなりません。その中に能動的な学びを組み込んでいく必要があります。
そのためには課題の作り方とその解決のしかたを見つける学習のしかたを教えなければなりません。児童生徒にそれを考えさせることができる課題を出したり、解決方法を導くためのフォローをしていくことが必要です。
児童生徒が課題作りをすることができれば、それは必ずしもオンラインでなくても可能です。
オンラインで授業を配信することが教員の仕事なんでしょうか?
今遠隔オンライン授業が盛り上がってきていますが、私は今学校や教員がそれに労力を使うべきなのはそこではないと思います。
私は、この休校中の子どもへの宿題は、この2つだけでいいと思います。
コロナ対策による臨時休校で学校が今できうる子どもたちへの対応策
それによって、自分で課題を見つけ、自分で取り組むようになると思います。
オンライン学習では学校という場にこだわる必要はない
学校とは何をするところなのか?
教育の目的は何か?
結局、これに返ります。これまでの受け身の勉強から主体的な学習にしていくことが必要です。
子どもが自分で学習することをサポートするのが学校教員の役目です。なので、これまでのような教室に集めて教員が一方的に知識を教えるスタイル方では子どもの意欲は続きません。
児童生徒の学習をフィードバックしていくスタイルの方がオンラインでの学習には向いています。
それができるのであれば、私は「学校という場」にこだわる必要はないと考えています。
規則の縛りや制限がある学校ではない、自分のやりたいことを自由に学べた方がいいです。「学力」とは個人のやりたいことに必要な学力をいいます。だから学力とは子どもの数だけあります。そう考えたら同然個々の学力は違うので、そこに「格差」は生じません。比較することはナンセンス、意味をなさないのです。
また、学校へのこだわりを感じているのは子ども本人ではなく、親であることが多いです。「学校はどっちでもいい」と考えている子どももいます。やりたいことが自分のペースで学ぶことができたらそれが一番いいのです。
自分のやりたいことをしっかりと自覚し、自分の道を歩めばいいのです。
それを見つけられる場所が学校以外にあるのであれば、学校にこだわる必要はないのです。
そうすると、保護者の方から「中学校にいっていないと高校進学が困る」と言われます。しかし現実は入学できる高校はいろいろあります。もちろん中学校に行かなくても高校に入ることもできます。子ども本人が大学に行きたければ、大学にも入学できるのです。
学校に行くのも手段のひとつ、学校ではないところも手段のひとつ。その手段か違うだけで、どっちを選んでも、自分のやりたいことをしっかりと自覚し、自分の道を歩めばいいのです。
学校に行くか行かないかの選択ではなく、自分で何をやりたいか、何を学びたいかを決めることができたらいいのです。
学校もその場のひとつに過ぎません。だから、「不登校」なんて概念も実はないのです。学ぶ場の違い、学び方の違いがあるだけなのです。
学校に行くことを基準にした見方考え方から、個々の学び方を基準にした見方考えにしたら、「不登校」という概念を作る必要がないのです。
「教室型オールインワン授業」を再現しないことがオンライン化の鍵〜学びの要素を適材適所で分割
中学校長が教える“学校以外”の学びの場