昨年4月に障害者差別解消法が施行されて1年が経ちました。
学校現場や職場、公共の施設などでも、「障害のある」人たちへの配慮が進みつつあります。
しかし、心理的な偏見や差別は根強く、実際の場面での進学や就職の壁は依然として高いです。
これまでも何度も書きましたが、障害者差別解消法は障害者のためだけに作られた法律ではありません。
障害は本人の内にあるものではなく、社会の側にあります。
社会的な障壁によって「障害者」や「障害児」にさせられているのです。これが正しい認識です。
まずは、このような社会的な認識と理解を広げていく必要があります。そしてハード面での改善を進めていくことが大切です。
それは、障害者差別解消法の中でも「社会的障壁をなくす」と明記されています。
その具体的な形が「合理的配慮」です。
それは、障害者にとっての壁でもあり、障害のない人にとっての壁でもあります。
みんなちがって、みんないい
詩人の金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」は、小学校3年生の国語の教科書にも載っています。
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥は私のように、
地面をはやくは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
(光村図書『国語 三上 わかば』より)
現実の学校や社会では、「みんなちがっていい」と言いながら、「みんなが同じようになること」を求められています。
「みんなちがって、みんないい」をお互いが認め合うことができたら、みんなが「楽」になります。
一人ひとりが違うんだから、一人ひとりに合う場も合う人も、学び方も働き方も暮らし方も社会参加の仕方も違うのが当たり前なんです。
人はみな一人ひとりが違っていて、それが当たり前のことなのに、無理やり同じようにしようとしていることの方が無理なんです。
今、私が目指しているのは、この一点です。
目指すゴールはここです。
学校や職場での立場は、社会を構成している一人ひとりの一時的な「役割分担」に過ぎません。それが人としての価値でも評価でもありません。
しかし、多くの人は所属や肩書きで他人を評価してしまっています。それは「素の人」としての評価ではありません。
社会から単なる役割分担として与えられた立場や肩書きという重い思い「鎧」を脱いだら、みんなが楽しく暮らせます。
みんなが違うことをするというのは、自分勝手なことをする、自己中心の生き方をするのとは違います。
他者と関係性をつなぎながら、お互いを認め合い、「自分らしさ」を発揮でき、「自分らしく」生きるということです。
そんな「楽に生きられる」学校、職場、地域、社会をみんなで作っていきましょう!
ゴールをめざしてこれからも発信と行動を続けていきます。
(続・みんなちがっていい:上)学習障害、手探りの配慮受験 障害者差別解消法施行から1年
障害を理由とする差別の解消の推進(内閣府)