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憲法二六条「すべて国民はその能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する」を実現する!

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子どもの学びを考える勉強会vol.3では「学びの目的とは?」「新しい学校つくり」についても取り上げましたが、今必要なことは教員の働き方改革ではなく「学び方改革」です。
子どもには学習権があります。憲法二六条は、「すべて国民は、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めています。
子どもの学習権を保証するのが「国民の義務」です。それを「義務教育」といいます。
強制的に嫌な学校に行かせることを義務教育とはいいません!
例外を認めず、「みんなと同じようにさせるのが公平」という考え方は100パーセント間違ってます。
「ふつうの子」なんてどこにもいない。みんなが違うことが当たり前なんです。
今、日本の学校では「ふつうじゃない子ども」に細かくレッテルを貼り、「ふつうの子」との分断がますます進んでいます。「支援学級」という名の教室がどんどん増えています。教員も親もそんな教室を作るのを疑いもなく受け入れています。そして、多くの人が多くの保護者が「ふつうの子」になることを目指していませんか?みんなが違うのに。
「ふつうの子」などという「枠」の中に閉じ込めようとする「学校の当たり前」を変えなければ、すべての子どもが幸福感を感じる社会にはなりません。

みんなの力を合わせれば「みんなの学校」が創れる

今日本の教育は隔離と排除の論理で経済性、生産性を評価基準として進められています。
学校教育は文科省が作った学習指導要領を基に行われています。そして今年度4月から改訂された指導要領になります。
その改訂は経済界からの要求で変えられます。それは児童生徒の実態に応じたものではないのです。
つまり、学校という場はビジネス市場としての役目が優先され、子ども一人ひとりの「個の実態」は後回しにされているといってもいいです。もちろん現場の教員はそんなことを考えたことはありません。気づいていても臨機応変に対応しようと考えても組織のルールから外れることはよしとしません。
それでも昔は子どもを真ん中にして、子どもたちの幸福をめざして奮闘していた教員もいました。組織のルールよりも目の前の子どもの幸福をめざしている先生は今でもいると思います。
私たちはそんな先生たちを応援して支えていくことだと思います。
先生ひとりの力では学校を変えることはできませんが、みんなの力を合わせれば「みんなの学校」が創れます。
それは子どもの幸福であると同時にみんなの幸福をもたらす場になります。
そんな場所をつくりたいですね。

不登校で大空小学校に転校してきた子どもたちが、通学できなくなった学校のことを「牢屋!」、「刑務所!」、「監獄!」と口々に叫んだエピソードが本に出てきました。そこまで学校は子どもを追い詰めているのかと、胸が痛くなりました。
1、2年生で学校に行けなくなる子がすごく増えているんですよ。
不登校は中学校が一番多いといわれてきましたが、今は小学校でも深刻な問題になっています。子どもたちは学校が恐いんです。
何が恐いって、そこにいる先生が恐い。イスの座り方から、手の挙げ方、忘れ物、挨拶、持ち物ひとつひとつの置き場所や使い方にいたるまで、軍隊みたいに厳しくチェックされて、周りと少しでも違うと注意される。

社会のニーズは、「上司の言うことを聞くより自分で考える人間がほしい」という時代に変化しているのに、学校はいまだに先生の言うことを聞く人間を育てているんです。
その結果、個性や感受性が豊かな子どもほど学校に行けなくなって、社会から排除されている現状があります。
社会は、人と違う考えや行動ができる「ふつうじゃない人」を求めるようになっているのに、大人が勝手に決めた「ふつう」の基準に当てはめて判断しようとする。社会が求めるニーズと教育現場が、どんどん乖離してしまっているんです。
でもね、子どもってみんな未成熟なんですよ。成長の仕方は人それぞれで、これから発達していくのに、(入学前から)障害があるってどういうことでしょう?
幼いうちから、そんなレッテルを貼られた子どもは大変です。
本来、子どもの成長度合いを検査する目的は、その子の特性を知ったうえで、周りの子どもたちと安心してつながって、一緒に集団生活を送るためであるべきなんです。
椅子に座れなくても、床に寝転がっていても、みんなと一緒に学べるのが学びの目的です。学校のあたりまえを変えるときです。

校則なし、先生の残業なし。発達障害児や不登校だった子もみんな一緒に学ぶ小学校
「学校のあたりまえを変えるとき」子どもたちは、学校の “ふつう”に縛られて苦しんでいる

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