2015年、ADD(注意欠陥障害)であることをカミングアウトしたモデルで俳優の栗原類さんが自伝的エッセイ『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』を発売しました。
中学時代にいじめられて2週間不登校になったときも、学校の先生やスクールカウンセラーはこちらが期待するようなサポートをしてもらえなかったので、母や高橋先生に相談してアドバイスを受けながらなんとか学校に通い続けました。でも高校時代は、自分から友だちをつくることもできたので、はじめて自分が否定されることなく受け入れられた楽しい世界でした。
アメリカの学校は生徒の多様性を大事にします。先生がどんなに忙しくても、勉強がわからない子がいるときっちり見てくれましたし、生徒同士の問題が起きたら責任を持って解決しようという熱意がありましたが、日本の場合はそういうことを先生に相談してもまったく何もやってくれなかったので全然信用できませんでしたね。
発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由は、10代半ばでモデルや俳優の仕事をはじめて社会で自分の存在を認められ、褒められたり喜んでもらったりすることも自信につながったこともあると思いますけど、もともと自信がないわけじゃなくて、やっぱり自分がやりたいことを仕事に結びつけられたのが大きいですね。
集団に入ると強制的に「みんな仲良くしろ」って、どうなの?
仲良くしたい人がいるから仲良くできるんです。
「みんなちがってみんないい」といいながら、学校ではみんな同じことを求めている。
その反面、競争場面が限りなく続くのが日本の学校教育というシステム。
日本の教員は相談してもまったく何もやってくれなかったので全然信用できなかった。
だから、学校へ行かない子が出てくるのは当たり前なんです。
それはごくごく自然な現象なんです。
学校へ行かないという選択もまた「正しい」のです。
「障害もその人の特性の中のひとつである」と受け止めること、そしてその人に合ったことをしていけばそれが強みになります。
「してあげる支援」ではなく、多様性を認め、お互いに共に生きていこうという意識をもてればみんなが「自分らしさ」を発揮して幸せなくらしができます。
社会を変えるとか学校制度を変えることは難しいですが、少しでも今より良くしていくことも自分たちで居場所を作っていくこともできます。
1つ目は、学校制度や社会の仕組みを変えていくことを目指しつつ、行政にも具体的な施策を要求していくこと。
2つ目は、連帯できる人の輪を広げて声を大きくしていき、協力できる人を増やしていくこと、できる人ができることを少しづつ積み重ねていくこと。
この両方が必要です。
「中学時代は、不登校になりました」
発達障害の栗原類さんが、子どもの頃に感じていたこと
「人と比べられても自分は自分」発達障害の栗原類さんが、居場所を見つけるまで