教育

「不登校の生徒が通う公立学校」ってどういう意味?あえて「不登校生徒」っていうのは?

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この学校、なんだかすっごく違和感を感じますね。
「不登校の生徒が通う公立学校」ってどういう意味?
どうしてわざわざ「不登校の生徒のため」という発想になるのかなあ?
別室登校が別場所登校に広がったということなのだろうか。
どうにかして学校に復帰させるということが目的になるんだなあ。
わざわざ年間30日以上欠席している子、学校に行っていない子を分けることないです。
別に学校に行くとか行かないとかで分ける必要はないので、誰でもどこで学んでもいいようにしたらいいです。
というか、学校に関係なく学びたい子が好きなところでやるたいことをやったらいいんです。
「不登校の生徒のため」の学校って、既存の学校と何がどう違うのでしょうか?
学校に来れないのを子どもや親の自己責任にして、既存の学校の環境を放置して、あえて「不登校の生徒のため」の学校って理解できません。
不登校の児童生徒は「心の不安感」だけでなく「制度上の不利益」を被っているにも書きましたが、学校へ行かないことは何の問題もないのですが、制度上高校入試の際にその子の「学力」が考慮されないという不利益を被っていることが問題のひとつとしてあります。
だから、「出席日数」がカウントされ「不登校」の定義に含まれています。
憲法第26条第2項「すべて国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。 義務教育は、これを無償とする。」
義務教育の「義務」とは「子どもが学校に行かないといけない義務」ではありません。 「子どもたちのために学ぶための時間と場所をきちんとつくらないといけない」という大人の義務です。
全ての子どもを一律的画一的な学校システムに押し込むことは義務教育の「義務」を果たしたことにはなりません。
個々の子どもの多様なニーズに応えられる多様な義務教育の「場」環境を作っていくことが国の責務です。
子どもは「義務教育期間」(つまり9年間)に個に応じた学びができる「権利」を持っています。それを阻害している環境を改善整備することが必要なのです。
「義務教育」は「子どもが学校へ行く義務」ではない
21世紀の松下村塾は、やりたい人がやりたいことができる場として始めています。

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