「不登校」という言葉が一般的に使われていますが、これは学校に行かない子どもを否定する差別用語です。
それならまだ「登校拒否」の方がましです。
「不登校は問題行動ではない」と言われるようになりました。
これって、矛盾していると思いませんか。
「不登校」とは学校に行かないこと
「不登校=悪いこと」
それは問題行動ではない・・・なんかよう分かりませんが。
私は「不登校」というネーミング、呼び方自体に問題があると考えています。
ではどんな言葉にするか?
フリーランスという働き方があります。
家で学ぶ「ホームエデュケーション」というスタイルがあります。
そこで、学校に行かない学び方を「フリーエデュケーション」「フリーラーニング」としてはどうか。
つまり「自由な学び」という意味です。
一方で学校教育は「不自由な学び」と呼びます。
なかなかいいと思いませんか?
「ホームエデュケーション」を超えて私は「フリーエデュケーションのすすめ」をしています。
フリースクールでもフリースペースでもない、「ホームスクール」という「ホーム」限定でもない「フリーエデュケーション」です。そうすれば、「不登校」という概念もなくなります。
「不登校」という子どもを支配する差別用語はやめて「自由な学び」に変えましょう。
子どもたちは「不登校」という言葉をどう思っているのか
この言葉の最大の欠点は、何十年と続いている社会問題が、子ども個人のせいであるかのように語られてしまうことだ。「学校恐怖症」や「登校拒否」などとも言われてきたが、この問題は社会全体の病理であり、個人の「不登校」が語られたところで改善していかない。「君が不登校になった原因は?」なんて愚問が子どもに向かってあと百年くり返されても、社会全体の「不登校」問題は変わらない。
「聾」のように「癩」のように「白痴」のように、「不登校」という語にこびりついた被差別の血の痕が見えないだろうか。私は旧世紀の差別語のように、この言葉を歴史上の遺物へと追いやりたい。
学校に行かない理由は子どもたち一人一人異なるのに、全て一括りに『不登校』と呼ばれていることに違和感がありませんか?
また、この『不登校』という言葉があるからこそ、不登校という言葉から抜け出せなくなっているようにも感じます。
そこで、今回は学校を行かないことを『不登校』以外の言葉で言い表し方についてのアンケートを取ってみることにしました。
今回このような「不登校」という言葉を使わずに不登校をどう表すか?についてアンケートをとしましたが、ぼくが最終的に目指しているのは『不登校という言葉を無くす』ということです。
不登校って何か表現おかしくない?他の言い方ないの?と思っている人(僕)「よく考えると、不登校って表現に疑問を感じるなぁ…。もっと他の表現ないんだろうか。もっとテンション上がるプラスの表現を考えてみようっと。」
本記事は、地元札幌の有名中高一貫校に12歳で進学後、秒速で落ちこぼれて不登校を経験した僕のつぶやき記事です。