自己責任として片づけてしまっている学校制度や社会の仕組みこそが問題なのです。
競争社会の中で縛りつけられて居場所を失った子どもたちを守っていくのは私たち大人の責任です。学校に居場所がない、社会に受け入れられない子どもたちに私たちのできることはたくさんあります。
忘れてならないことは、彼らは家庭環境や、学校の教育環境、さらには周囲に気付かれなかった病気や障害などの理由で「教育困難校」に入るしかなかったという点だ。
そんな彼らをこのまま打ち捨てておいてよいのか。
それは、そこに通う生徒にとっても、日本社会にとっても大きなマイナスにならないか。
大人が子どもたちを所属校で差別している
子どもたちを、学歴、特に所属校によって選別、差別しているのは私たち大人です。
「いい高校に入ってよかったね」
「あのうちの子はどこどこの学校へ行っている」
「あの高校はどうのこうの」
「あの学校はヤンキー学校だから・・・」
って、日ごろの会話の中で多くの人が言っていませんか。
「いい学校」とか「悪い学校」って誰が決めているんですか?
何を基準にしてそう決めているんですか?
子どもたちを苦しめているのは私たち大人だ
「誰にとってその学校がどうか」っていうことが大事なのではありませんか。さらに、教員もどこの学校に勤務しているか、教諭なのか講師なのか、常勤なのか非常勤なのかで価値判断していませんか?
人間の価値は「どこの学校に行っているか」や「所属や肩書き」によって決まるのではありません!大切なことは、何を目的に教育し学んでいるのか、どこを向いてどこを目指しているのか、子どもたちにどのように関わっているのかということなんです。
生きるということ、学ぶということの本質が分かっていない。分かっていても世間の風潮に流されている大人の姿勢が子どもたちを追い込み、苦しませているという自覚が必要です。
そのうえで、私たち一人ひとりが学校というものをどう考え、子どもたちの環境作りのために何ができるか考え、できることをやっていくことが大切なのではないでしょうか。
社会がこうだからとか世間がどうだからというのは言い訳であり逃げ道です。そこにはすでに、流されて生きるしかないという諦めが入っています。
安全地帯にいても何も変わりません。何も変えることはできませんから、お互い理想に向かって突っ走っていきましょう!
モンキー高校と侮蔑される教育困難校の実態
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