文科省は「不登校を未然に防ぐための支援策を検討中で、年度内にも方針を示す考え」だということですが、これまでもさんざんやってきた結果、不登校の児童生徒は増え続けています。
本質の理解をしないまま、できもしないことを簡単に口にすることはやめてほしいです。
そもそも、文科省は「不登校を未然に防ぐ」とはどういう意味だと考えているのでしょうか?
「不登校を未然に防ぐ」には、その本質の理解ができていなければ、解決は不可能です。
不登校が増え続けている大きな要因は、不登校の本質、抜本的な対策が講じられていないためです。
現状の学校制度を続けている限り、不登校は増え続けます。
なぜなら、今の学校制度が不登校を生んでいるからです。
学校環境を変えることができないのですから、不登校が増え続けることは「当たり前」なんです。
個に応じた学習指導、子ども理解の上に立った生活支援がきちんとできていない、すべての子どもに「学び」の保障ができていないために不登校を生んでいるのです。
社会通念、世間の慣習として「不登校の子どもは問題である」と考えること自体が間違っています。
学校に行くか行かないかで人を評価すること自体が間違っています。
「学校には行かなければならない」という考え方自体が間違っています。
学校に行くか行かないかは、今後の人生を決めるわけでもないし、人の価値とは何の関係もありません。
学校に行くか行かないかで人生が決まることなんかありません!
不登校が問題なのではなく、不登校を生みだしている学校教育制度、学校環境が問題なのです。
それを自覚しない限りは、どんな対策を講じても、一時的「対処療法的」な策に終わります。
そもそも、「不登校」という言葉は、上から目線、上から管理・支配するためが目的で作られた言葉です。
不登校当事者のニーズで生まれた言葉ではありません。
全く無責任なワードです。
今、議員立法として上程を目指す「多様な教育機会確保法案」という危険な法案が審議されています。
「学校に行かないこどもは悪い子だ。
」と法律で規定しようとしている法案です。
不登校を作りだしている国と文科省が「不登校=悪」と決めつけるもので、断じて許してはなりません。
現状では、学校に行く行かないに関わらず、義務教育は中学校卒業年齢に達した学齢で「卒業認定」がされます。
しかし、この法案は学校に行かせることが「親の義務」となり、その義務を履行しなければ「卒業」が認められなくなります。
そのための選択肢として「フリースクール」など、教育委員会が承認した場所で「学習指導内容」を履修すれば「修了認定」がもらえるという仕組みです。
もし、この法案がこのまま成立したら、小中学校に行かなかった子どもは「小学校卒」でも「中学校卒」でもなくなり、それ以降の進学の道が閉ざされてしまうことになります。
「学校へ行く自由」「学校へ行かない自由」を認め、すべての子どもに個々に応じた学びの場を保障とすることを「国の義務」としていかなければなりません。
学校以外の選択肢を認め、人それぞれいろいろな生き方があるのだということを世間の常識にしていかない限り、「不登校」という言葉をなくすことはできません。
新たに不登校になった小中学生6.5万人 2014年度
http://www.asahi.com/articles/ASJ1V4V9YJ1VUTIL02C.html
今のままでは「不登校」という言葉をなくすことはできません
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執筆者:azbooks