「社会参加」って「家の外」に出して「決められた枠」の中に閉じ込めることなのでしょうか?
ここで言っている「社会参加」という概念そのものに不自由さを感じますね。
この意味が理解できる人は何人いるでしょうね?
いかに社会的な慣習にしばられているかということです。
嫌なことを我慢することが社会性ではありません。
もっと自由に好きなことをやればいいんです。
好きなことに没頭すれば、必ず自分の道が見つかります。
学校に行っていないことを「不登校」、社会に出ていないことを「引きこもり」。
これって、当事者を否定する言葉になっています。
多くの人は、否定的なイメージで捉えています。みなさんはどうでしょうか?
これは、完全に上から目線、支配する側が勝手に命名した言葉に過ぎません。
そう、支配する側の都合でそう呼んでいるだけのことなんです。
「不登校」も「引きこもり」も悪いことではありません。
学校に行かなくても、社会に出ていなくても悪くはないのです。
学校に行っても行かなくてもいいし、社会に出ても出なくても何の問題もありません。
どういう選択をするかは、個々の自由で、それを強制するほうが間違っています。
そして、「不登校」も「引きこもり」も、「そうさせている社会」の側に問題があるのです。
そういう見方で「不登校」や「引きこもり」を見ていく必要があるのですが、多くの人はそうではないでしょう。
支配者によって意識をコントロールさせられている社会であることに気づくべきです。
だから、私は「自由」な生き方を選びました。
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執筆者:azbooks