私は学校という世界で気力も体力も使い果たしました。
現場の教員たちは、よくこんな異常な世界でやっていると思います。
教員本来の仕事量だけでも一人ひとりの対応キャパを超えすぎています。さらに年々増え続けています。明日の授業の準備でさえ17時18時をまわってから始め、深夜までかかります。だから児童生徒、保護者に丁寧に対応したくても現実としてできません。
これは労働時間の問題ではなく、仕事量が多すぎる、教員のすべき負担が多すぎるのです。このままで時短しても持ち帰り仕事が増え、自主的な休日出勤が増えるだけです。
おかしいことを「おかしい」というには相当なエネルギーが必要ですが、私はそのエネルギーが一滴もなくなりました。
私は自分の命と健康を守るために、闘うことを辞めてリタイヤしました。
私が早期退職した理由のひとつが自分の命と健康を守るため
しかし、その決断で手に入れた大切なものがあります。それは自分の意思で行動できること、自由な時間を獲得したことです。
文科省も教育委員会もまったくあてにはなりません。
現時点で言っても、すでに学校崩壊、教員崩壊が始まっています。これからも人間崩壊を増やしていくと思います。
声をあげた田中先生と訴訟をめぐるストーリー
「公立の学校教員は激務です。非常に長い時間外勤務がある。それなのに、労働者としての権利が認められていない。残業代も出ない。こんな状況は、私たちの世代で終わりにしないといけないと思ったんです」
そう語るのは、38年間、埼玉県内の公立小学校の教員を務めた田中まさお教諭(仮名)。定年退職した後、再任用教員として現在も教壇に立ちながら、「超過勤務裁判」を戦っている。
「次の世代へ向け教育現場の働き方を変えなければいけない」
登校拒否は自己防衛反応
「不登校」なんて概念も実はないのです。学び方の違いだけなのです。どのような人生を生きていくかについては、子ども自身の選択であり創造です。
「登校拒否」は子どもたちから大人へのメッセージです。しかし、それをキャッチしないで大人の都合で子どもをどうにかしようとしています
登校拒否も「危険な所には行かない」という自分の命を守るための防衛反応だといえます。
子どもはなぜ学校に行くのか?行かされているのか?