まつもとさん、結構本質をついているなあと思います。
「不登校生への圧力は親や学校の都合」
「実際には学校なんてたいしたことを教えていない。むしろそれは有害であるとさえいえる。だから、勉学のためにも社会的成長のためにも、必ずしも学校は最適であるとは言い切れない。他の選択肢もあってかまわない。いろんな可能性を探ってみたらいい。」
「不登校生を特別視する風潮さえどうにかすれば、学校に行かなくても社会性を育んでいくことは十分に可能」
『学校はなんのためにあるの?子どもの教育のため?親の都合?学校の都合?』
というテーマで討論会をしたら面白いと思う。
そうしたら、「学校は子どもの教育のためにあるのではない(のかもしれない)」というまとめになると、私は思います。
もう決定事項であるかのような学校の統廃合を議論する「無駄な時間」があるのなら、その前に必要なテーマだと思いませんか。
親にとっての学校の存在意義は、実はそれだけではない。ホンネで包み隠さずにいえば、親としては子どもが学校に行ってくれるのがラクなのだ。
自分自身が学校に対して疑問符をつけている私のようなひねくれ者でさえ、親としては息子にふつうに学校に行ってほしい。
そうすることで、余分なトラブルを避けることができる。余分なことにエネルギーを奪われずに済む。
キレイ事を抜いてしまえば、子どもは託児所に放り込みたいし、反抗的な若者はまとめてどっかで集まっていてほしい。
おそらく、不登校問題をややこしくしているひとつの要因は、実はこの親の都合なのだろうと思う。
Webと端末の発達したこの時代、自学自習にはなんの問題もない。
不登校生を特別視する風潮さえどうにかすれば、学校に行かなくても社会性を育んでいくことは十分に可能だ。だが、それでは親は困る。
そのぐらいに、学校制度は社会・経済の現状と深く結びついている。
しかし、子どもの問題を語るときに、そこがポイントとして議論されることはあまりないように思う。